Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.17

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その3

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○平八郎林家の門に入て学問を修業する事
    并平八郎吉原にて独詩百韻を作る事

管理人註
  

かく                              がり 斯て平八郎主従は、急がぬ旅の気散じに、何の苦もなく江戸表、親族許へ着      かね せしかば、予て父より貰ひ来し書簡を出して、心願の仔細を明て頼みければ、 かの    なにがし かれ 彼親族何某も渠が志しを深く感じ、幸ひ林家へ出入なせば、早速其由申し込                          けなげ 願ひし処、林家にても、遠路を遥々我を頼みに罷越たる殊勝なる其心根を歓 び給ひ、直さま呼寄対面あり、 夫より林家に寄宿なせしに、元より執心のことなれば、寝食をさへ打忘れて、 ひたすら                              ふるく 只管学問を励みしかば、其上達も著るしく、文章詩作はいふも更なり、古よ りして勤学せし書生といへど、平八が右に出るは稀なれば、末頼母しき若者 と、林家に於ても思し召ける、                          いとけなき いとをし 偖平八郎は、平生の行ひいとも正しくて、長者を敬ひ、幼稚を最愛みつゝ、 其身を慎み、少しも浮たる事などなく、怠慢せずに学ぶ程に、師も殊更に愛              なら しみ、余の門弟へも平八を見傚ひ学び励むべし、と教導さるゝ程なれば、余           ま ゝ の門弟の其中には、往々偏執の心あるは、己が才の足ざるを知らで、却て心       やから あまた           ひま       とく よからず思ふ族も数多ありしと、 隙行く駒の疾過て、今年は最早平八が大               としつき             うらゝ 坂の地を出しより、ハヤ三年の星霜を重ねし頃も、春の日のいと麗かなる弥  なかば            あいかた       むか    いふ 生中旬、同門の若者ども両三輩相談らひ、平八郎に対ひて言やう、      なかば                  みる 今や弥生の半にして、所々の桜爛たり、都下の人士観を競ひ、群衆一方な                            ど て らずと聞中にも、風流の地と言ふは、名にし負ふ隅田川の長堤の桜見ざるべ                        ちやうじつ からず、然るを我々鬱々と宿にのみ居て、駘蕩の此長日を暮さんは、余りと                こる いへば無雅に本意なし、余り物に凝時は自然病を生ずるものとか、依て鬱を           なが         す だ           かしこ 散ぜん為め、一日花を詠めんには、隅田の桜に越ものあらじ、彼処へ赴き、                    詩を賦さば其詩の料にも乏しかるまじ、然すれば興を催さん、イデ貴兄にも           ともがら ひたすら 御越あれや、と若手の輩、只管に勧めけるにぞ、 平八郎も遥々東都に来りてより爰に三年の月日を過せど、未だ名に負ふ隅田                       よき       とみ  うけひき の花見ざるを遺憾に思ひ居しかば、コハ国元への好土産と、頓に承引、御同 道申すべしとて日を約し、別れて其日を待けるに、程なく期日となりしゆゑ、 師に暇を乞て屋敷を出、先両国を始とし、浅草観音へ参詣しけるに、音に聞                       にぎはひ  さすが えし霊地とて、老若男女の参詣、群衆引も切ざる賑に、偵の平八も胆を消し、             みめぐり          やしろうし 夫より大川橋を東へ渡り、三囲稲荷、秋葉の社牛の御前、梅若塚と、名ある         もと         わりご            もとより 所を一覧し、桜の本の或茶店に割籠を開き酒宴を張れど、平八元来酒を嗜ま                       さゝへ ず、只人々の酒宴するを眺めてのみ居たりしが、小筒の酒も尽る頃は、ハヤ            き ろ 黄昏に程近ければ頻に皈路を促すに、友なるものは平生より平八郎が学才あ        めでたき                   あのかたくな りて師の覚えの愛度を、心憎く思ふものから、各々予て言合せ那頑固なる平                             かれ  かしこ 八事、いまだ江戸へ来りてより、遊所の味を知らざる由、一度渠を彼処に遊     かへ           い や                くる ばせ、其皈ることを忘れさせんと、厭悪がる平八の左右の手を引張つゝ、廓                    あない            いざ 中へ連行、彼仲の町の茶屋に至り、此家の案内に江戸町の松葉屋といふへ誘 なは       ひごろ 引れ、各々日来の鬱を散じて佳興にこそは入たりける、 平八郎は座するに堪ず、免れんものと気を揉ど、彼若者等は予てより平八郎                  ゆる          しひつけ を困らせんと図りて来りし事なれば、免す処か、酒を強付、其内相方の女郎      まつしや                まひ  たの も出、芸妓幇間に囃されて、踊りつ舞つ娯しめども、平八は只黙然と溜息を   つき のみ吐 居るを、皆々見つゝ異口同音、ソリヤ貴様には野暮といふもの、斯  いろざと                しかつめ やめたま              さゝやき る遊廓へ入ながら、左様な端然は廃玉ひ、チトお発しなさらぬかと、私語笑   のけもの                 たすけ            ふしど ふて退物にし、皆々其座に酔潰れしを、仲居が幇に漸々と、各々臥房に入け        しかた れば、平八郎も詮方なく、床には入れど膝も崩さず、彼の相方の女郎が来る も勝手なれば、此儘に打捨置て玉はれと、相手にならず、只一人灯火の許に               ふところがみ              したゝ 端坐して、腰なる矢立取出し、懐紙に何やらん細字を認め、余念なく、敢て    ことば 婦人と言語も交へず、眠りもせずに到りしが、ハヤ程もなく志ら/\と、夜           つ れ    わかうど                 よ べ は全くに明しかば、同伴なる若人追々起出、迎ひに連られ茶屋へ帰り、昨夜 の諸拂ひなさんものと勘定するに、何れにも皆勤学の若者ゆゑ、貯への金子                        つど 乏しくて、醒ての後に後悔するも、返らぬ事と額を聚へ、囁くのみにて果し                  むか なきを、皆々相談取極めて、偖平八に対ひて言やう、                      このところ 昨夜の諸払、案外にて勘定の金不足せり、然し此処に長居せば、いよ/\罪 を重ぬる道理、因て我々一先帰り、金子の才覚仕まつり、直様迎ひに来らん           そこもと                      よき 程に、先夫までは、其方許には、此処にて相待給へ、又師の前は、我々が能  いひなしおく に言做置間、必ず共に案事給ふな、左様ござれば平八どの、                  いちにん と言含つゝ茶屋へ断り、同伴の内なる一人を残して置て、金子をば才覚して、 早々に迎ひに来れば承知せよ、と茶屋の女房に言置て、そこ/\にして立去 ける、 跡には一人平八が、今や迎ひに来る事かと、茶屋の手前も面目なく、心に             おとづれ 恥て待けれど、其日は何の音信なく、又其翌日に至れども、絶て音信なきも のから、何と言出す思案もなく、然し迎の来らぬとて何時まで此処には居ら                          もとより れまじ、又外聞にも拘はる訳と、殆ど当惑したりしが、元来深智の平八なれ ば、屹度心に思案しつ、此家の若者を呼寄て、                           かへ 偖気の毒なは連なる者、我を残して金子をば、才覚の為立皈り、早々迎ひに 来る筈の約束なりしが、今以て否やの音沙汰なきを思へば、何ぞ屋敷に故障   しゆつたい でも出来せしか、然もなくば何れか来るに違ひなきに、来ざるは甚だ不審の 至り、且又此家へ対しても、馴染なればまだしもの事、始めて来り此不仕末、                   それがし や よ す 何とも面目なき事なり、何をか匿さん、某は八代洲河岸なる学問所 林大学 頭の内弟子にて、此間同伴の若者と隅田の花をば見物に来りて、終に酔に乗 じ思はず此処へ来りてより、斯の次第と相成て、今我皈るに道もなし、依て 某と同道にて、八代洲河岸まて来て給はれ、然すれば諸拂ひ相済さん、    おもて と真実面に顕はれければ、彼若者も承知して、 ごもつとも   おんことば                    とも/゛\ 御道理なる御辞、然れば御供仕つらんと、倶々急ぎ支度なし、打連だちて八 代洲河岸なる林家の屋敷へ到けり


『天満水滸伝』
その4
 


『今古実録大塩平八郎伝記』目次/その2/その4

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ