Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.2.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その31

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○大塩が家内の者京都にて召捕るゝ事 (1)

管理人註
  

爰に大塩平八郎は、大事を思ひ立しより日夜同志を語らいつゝ、彼橋本忠兵      はじめ 衛を二月の初旬我家へ招き、我等家内爰許へ差置時は、何角邪魔にて、妨げ の筋も多ければ、其許方へ召連行て、暫くの内差置るべし、追々時日も来り               た じ たれば、早々頼み申なりと、他事なく言れて、忠兵衛は、一議に及ばず承知 なし、夫より何となく勧め込み、平八郎が妾ゆふ、及ひ忠兵衛娘同人妾みね、 又此腹に生れし二歳の男子と下女一人を随へて、一旦我家へ至りしも、其後 如何なる仔細にや、摂州池田の親類なる糠屋七右衛門方へ連行て、大塩の家 内をば預ける、 扨も賊徒等敗走の後、大塩父子並に忠兵衛、常々出入の天満の日雇彼作兵衛                あ ち こ ち さまよひ を随へて、天満川の船に乗り、右辺左辺彷徨、漸くに其晩景に及けるに、平 八郎皆々を見返りて、時節至らず、今日の次第何共無念千方なり、今となり  うか て浮々と此所に足を留め難し、因て是より我々共分れ/\となり、身を忍び、 我思ふ仔細も有なれば、又々再会の期も有へし、又忠兵衛には、故郷に帰り、                        かれら 兼て頼みし我一族を刺殺して給はるべし、斯いふも渠等ども、謀反の余類と           うきはぢ         ふびん 探し出され、如何なる憂耻を晒させん事、甚だ不便のいたりなれば、早々に                        やが 計らひ給はるべし、といふに、忠兵衛も承知の体に頓て大塩父子、忠兵衛も                     くらき 彼作兵衛も船より上り、西と東へ袂を分ち、闇夜に紛れて立去ける、 偖忠兵衛は、心細くも彼作兵衛を引連て、糠屋へ至り、ゆふ、みねを一間へ           おもひたち ことがら 招き申やふ、平八郎の思立の事情委しく咄し了り、今は遁るゝ道なければ、 大塩さまの仰しやる通り、皆々一時に潔よく自害に及び給ふべく、我介錯し          いざな             ふたり て倶々に死出三途を誘はん、と泪と共に物語るに、両人は此事を始めて聞、   ことば                つか 何と語も情なや、途方に暮て涙さへ、胸に閊へて出もやらず、忙然として居                       いへ たりしが、みねは漸々気を押鎮め、忠兵衛に向ひ言るやう、                               さら 偖も是非なき次第なり、今仰しやる通り科人となり、天下に生耻を肆さんよ                     さは りは、潔よく生害して相果んが、爰に一ツの障りあり、其は外ならず、此爰    うまれ に去年出生の二才の男子、いまだ東西も弁へず、其愛らしさを殺すに忍びず、 どうぞ 何卒此子を助けし上にて、心残さず、潔よく相果ん事こそ願はしけれ、助か る工夫をなし給へ、と両人は、忠兵衛に取付て泣哀しみ、口説ければ、我娘            ひときは ましくは の産し孫と言ひ、可愛さ一層増加はり、如何にも助け遣はし度、と今は忠兵       さう         ことわり 衛も心乱れ、然言るゝも道理なれば、一先此処を立退て、京都へ出た其上に、   よき また能思案も有べし、とて伊勢参宮より大坂へ見物がてら出し所、彼大変に    はふ                 やつ 出会て這/\遁れ来しと偽り、同者の体に姿を窶し、ゆふ、みね、二才の男 子を懐き、下女りつに忠兵衛、作兵衛、皆打連て伊丹を立出、二月廿五日に 京都へ到り、柳の馬場三條下る町旅人宿にて、生菱屋彦兵衛と云へ止宿なし、 矢張京都見物と言偽り、其翌日より所々見物し、心ならずも日も送りしが、    つく 忠兵衛倩々思ふやふ、           うか 此物騒がしき折ネに、浮々此処に居がたし、幸ひ美濃の苗木の城下に、我知        かしこ 音も有なれば、彼処に忍ひ行て、兎も角も相談なして、孫を頼み助けて、其                       うなづき 後皆々に自害をさせて、我も又最期を遂んと心に点頭、彼二人にも此事を密        とく 々咄し、明日は疾出立なして、彼処へ行んと、皆の者ども議したりける、 扨も此時京都に於ては、彼大塩が残党余類を厳しく御詮議ある時なりしが、 さぐりのもの 間諜者より内達あるは、柳馬場三條下る町、生菱屋方へ去頃より止宿なし居                 かれら る女連は、何にも合点の行ぬ者共、渠等は、若や御尋の大塩平八郎が余類な らんも計り知れ難し、と注進しければ、御町奉行梶野土佐守が御手の組与力 同心達、夫こそ怪しき者どもならんと、種々内探り有けるに、紛ふ方なき大 塩が余類の者と有けるゆゑ、御組の与力同心達、彼生菱屋へ踏込で、御上意 なりと呼はりつゝ、難なく忠兵衛、ゆふ、みね始め一同召捕とはなりにける、       【生菱屋踏込の図 略】 




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