Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その5

栄泉社 1886

◇禁転載◇

               しらせ          かへ
 ○平八郎父が病気の報知に故郷へ皈る(1)

管理人註
  

                         たつ 昨日今日と思ひしに、平八郎は林家に寄宿なしてより、経ともなく早五年の 星霜を過し、蛍雪の功積りて、天晴儒者とはなりにける、              なには             かれ 然れば大学頭殿は歓び給ひ、難波に帰り行とても渠が如きの学業の者、予が              かうば 門弟とある時は、我名も連て芳しけれ、と末頼母しく思し召ける、 然る処に或日の事、大坂より書状の来れり、平八郎も五年の間、父母の顔を                             ひとたび ば見ぬものから、如何成行給ひしや、定めて年老給ひつらん、一度帰りて案 否を問んと思ひつれども、然ある時はは最早老年の父母なれば、再び放ちて            ふたゝび            かた   しか 下すまじ、夫を振切また再度東都へ出ること難し、如し、よく/\学を修め、 夫を土産に立帰り、不孝の罪を償はん、と心に思ひ居ける時ゆゑ、何事やら                           たの んと胸轟き、取手遅しと開き見れば、父の老病重り来て、憑み少なくなりし      いとま かば、師に暇をば速かに乞ふて上坂なさるべし、父の待詫給ふ事一日千秋の 想ひなり、と言越したれば、平八郎ハツと驚き、一日も猶予ならじと、直様   おもふき に其趣旨を申上、暫くの暇を願ひけるに、大学頭殿聴たまひ、平八郎を御前 へ召れ、仰出されける様は、 其方父大病の由告越たれば、暇を乞ふ段、如何にも許し遣はすべし、早く帰          さり       あらた りて看病なすべし、然ながら、更めて告越たることなれば、全快の程も計り 難し、其方学業上達なし、末頼母しく思ふなり、立帰りなば、猶以て出精な して名を揚よ、人倫の道を忘るゝな、老父全快なすとても、最早出府は叶ふ まじ、 とてお盃をば下されて、種々拝領物などなしければ、平八郎は頂戴し、数年 の厚恩、冥加至極有難し、とて御礼なし、何れ着阪の其上は、早々御礼申上 ん、又老父にも御恩の程を申聞せて歓ばしめん、と御前を下り、取急ぎ旅の             ねんごろ 用意を調へて、又傍輩へも懇ろに暇乞に及びしかば、何れも名残を惜み合ひ、                             出立カ 何くれとなく手伝ひて、既に用意も調ひければ、林家の屋敷を立出しけり、                  せか 下りし時とは事替りて、父の病に心も急れ、名所古跡に目も留ず、夜を日に ついで急ぎ行、漸々にして天満なる父の許にぞ着にけるが、直様旅の支度の まゝ父の病床に至りつゝ、久々にての対面に、兎角の言葉も出ばこそ、互に   むせ                   つく/゛\         てい 泪に咽ぶのみ、歓び合ふこそ道理なれ、平八郎ハ倩々と父が病気の体を見る                            おも     たの に、僅五年の間なれど、思ひしよりは年老て、いとゞ病苦に面痩て、憑み少 なき其有様、何と言んも胸塞り、泪呑込居たりしに、父は病苦を打忘れ、重    もた き枕を擡げつゝ、平八郎が天晴の男になりしを見上見下し、悦ばし気に言ふ 様は、            かぞ          あけくれ 其方、東都に赴きてより算へて見ればハヤ五年、旦暮案じ暮せども、我又孟     なら 母が教に做ひ音信せざるも故ある事、古郷を思ひ、勤学の妨げにもならんか             さり と、其儘にして打過たり、然ながら親として子を思はぬ者はなし、便りの度 に怠らず、励み学ぶと聞嬉しさ、今立帰りて父と子が対面なせし上からは、              たんせき 此世に思ひ残す事なし、我病旦夕に迫れり、鳥の将に死なんとする時、其い                よ         いとけ ふこと宜しとかや、老父が言こと熟く聞べし、幼なふして学ぶは、老て仕へ んが為なり、汝家を相続なさば、人に秀でし学才ありとも、己れに慢じ、無     あなど かろ 学の者と侮り軽しむる事なかれ、且我家は奉行の配下、罪の軽重公事訴訟、 かり             かゝ 苟にも人の身命に拘はる事を取扱へば、依怙贔屓なく正義を守り、公儀のお 為を第一に、慈悲を忘るゝことなかれ、君に捧けし一命なれば、天下の御為        しも となることは、下万民の助けとなりて、名を後代に輝かし、其を記録に留め                     をさま よかし、文武の道は車の両輪、文学のみでは治らじ、武道に疎きは士といふ                           よく/\ べからず、我汝に言置事、唯此一事のみなれば、爰の処を能々弁へ、全き忠 を顕はすべし、此他は汝が心得に有べき事、 と教訓しければ、平八郎承はり、尊父の御教諭心魂に徹し、世終るまで忘る べからず、屹度名を揚申べし、と答へに、父はいと嬉し気に此世の名残、そ の暁、眠るが如く息絶たり、               なげき 平八郎が愁傷は更なり、家内の悲歎いふばかりなく、斯て有べき事ならねば、     とも/゛\ 親族打寄倶々に野辺の送りをなしにける、         とふら          ねんごろ 夫より七日/\の弔ひも、いと懇切に勤め行ひ、程なく中陰果しかば、父が 跡目を相続して、町方与力と成けるが、果して林家の教といひ、父が遺言を                                  うち 心に納めて、行ひ正しく曲れる事なく、廉直にこそ勤めける、 然れば組中 の評判よく、若手にしては珍しと人々申合けるとぞ、


『天満水滸伝』
その7


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