たつ
昨日今日と思ひしに、平八郎は林家に寄宿なしてより、経ともなく早五年の
星霜を過し、蛍雪の功積りて、天晴儒者とはなりにける、
なには かれ
然れば大学頭殿は歓び給ひ、難波に帰り行とても渠が如きの学業の者、予が
かうば
門弟とある時は、我名も連て芳しけれ、と末頼母しく思し召ける、
然る処に或日の事、大坂より書状の来れり、平八郎も五年の間、父母の顔を
ひとたび
ば見ぬものから、如何成行給ひしや、定めて年老給ひつらん、一度帰りて案
否を問んと思ひつれども、然ある時はは最早老年の父母なれば、再び放ちて
ふたゝび かた しか
下すまじ、夫を振切また再度東都へ出ること難し、如し、よく/\学を修め、
夫を土産に立帰り、不孝の罪を償はん、と心に思ひ居ける時ゆゑ、何事やら
たの
んと胸轟き、取手遅しと開き見れば、父の老病重り来て、憑み少なくなりし
いとま
かば、師に暇をば速かに乞ふて上坂なさるべし、父の待詫給ふ事一日千秋の
想ひなり、と言越したれば、平八郎ハツと驚き、一日も猶予ならじと、直様
おもふき
に其趣旨を申上、暫くの暇を願ひけるに、大学頭殿聴たまひ、平八郎を御前
へ召れ、仰出されける様は、
其方父大病の由告越たれば、暇を乞ふ段、如何にも許し遣はすべし、早く帰
さり あらた
りて看病なすべし、然ながら、更めて告越たることなれば、全快の程も計り
難し、其方学業上達なし、末頼母しく思ふなり、立帰りなば、猶以て出精な
して名を揚よ、人倫の道を忘るゝな、老父全快なすとても、最早出府は叶ふ
まじ、
とてお盃をば下されて、種々拝領物などなしければ、平八郎は頂戴し、数年
の厚恩、冥加至極有難し、とて御礼なし、何れ着阪の其上は、早々御礼申上
ん、又老父にも御恩の程を申聞せて歓ばしめん、と御前を下り、取急ぎ旅の
ねんごろ
用意を調へて、又傍輩へも懇ろに暇乞に及びしかば、何れも名残を惜み合ひ、
出立カ
何くれとなく手伝ひて、既に用意も調ひければ、林家の屋敷を立出しけり、
せか
下りし時とは事替りて、父の病に心も急れ、名所古跡に目も留ず、夜を日に
ついで急ぎ行、漸々にして天満なる父の許にぞ着にけるが、直様旅の支度の
まゝ父の病床に至りつゝ、久々にての対面に、兎角の言葉も出ばこそ、互に
むせ つく/゛\ てい
泪に咽ぶのみ、歓び合ふこそ道理なれ、平八郎ハ倩々と父が病気の体を見る
おも たの
に、僅五年の間なれど、思ひしよりは年老て、いとゞ病苦に面痩て、憑み少
なき其有様、何と言んも胸塞り、泪呑込居たりしに、父は病苦を打忘れ、重
もた
き枕を擡げつゝ、平八郎が天晴の男になりしを見上見下し、悦ばし気に言ふ
様は、
かぞ あけくれ
其方、東都に赴きてより算へて見ればハヤ五年、旦暮案じ暮せども、我又孟
なら
母が教に做ひ音信せざるも故ある事、古郷を思ひ、勤学の妨げにもならんか
さり
と、其儘にして打過たり、然ながら親として子を思はぬ者はなし、便りの度
に怠らず、励み学ぶと聞嬉しさ、今立帰りて父と子が対面なせし上からは、
たんせき
此世に思ひ残す事なし、我病旦夕に迫れり、鳥の将に死なんとする時、其い
よ よ いとけ
ふこと宜しとかや、老父が言こと熟く聞べし、幼なふして学ぶは、老て仕へ
んが為なり、汝家を相続なさば、人に秀でし学才ありとも、己れに慢じ、無
あなど かろ
学の者と侮り軽しむる事なかれ、且我家は奉行の配下、罪の軽重公事訴訟、
かり かゝ
苟にも人の身命に拘はる事を取扱へば、依怙贔屓なく正義を守り、公儀のお
為を第一に、慈悲を忘るゝことなかれ、君に捧けし一命なれば、天下の御為
しも
となることは、下万民の助けとなりて、名を後代に輝かし、其を記録に留め
をさま
よかし、文武の道は車の両輪、文学のみでは治らじ、武道に疎きは士といふ
よく/\
べからず、我汝に言置事、唯此一事のみなれば、爰の処を能々弁へ、全き忠
を顕はすべし、此他は汝が心得に有べき事、
と教訓しければ、平八郎承はり、尊父の御教諭心魂に徹し、世終るまで忘る
べからず、屹度名を揚申べし、と答へに、父はいと嬉し気に此世の名残、そ
の暁、眠るが如く息絶たり、
なげき
平八郎が愁傷は更なり、家内の悲歎いふばかりなく、斯て有べき事ならねば、
とも/゛\
親族打寄倶々に野辺の送りをなしにける、
とふら ねんごろ
夫より七日/\の弔ひも、いと懇切に勤め行ひ、程なく中陰果しかば、父が
跡目を相続して、町方与力と成けるが、果して林家の教といひ、父が遺言を
うち
心に納めて、行ひ正しく曲れる事なく、廉直にこそ勤めける、 然れば組中
の評判よく、若手にしては珍しと人々申合けるとぞ、
|