Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.22

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『今古実録大塩平八郎伝記』

その6

栄泉社 1886

◇禁転載◇

               しらせ          かへ
 ○平八郎父が病気の報知に故郷へ皈る(2)

管理人註
  

                         たが 偖この組中にて平八郎より上なる者の指揮にても、理に違ふことある時は、                     へりく 決して之を承引せず、只物事正直に身を慎み謙だり、勤に出精なしにける、                       かれ       たつと 時の奉行高井山城守殿にも、是を見聞し給ひて、渠が秀才を尊んで、吟味方 となし給ふに、公事訴訟のことなどは、是非の明断速かにて、此時までの公                       たちまち             ま ゝ 事訴訟は、兎角に富家の金銭を遣ひて、非なるも忽地に是となる事の往々あ                おのづ りしが、平八郎が出役せしより、自然と右等の事などなく、善悪邪正分明に、 すみや                  なづ 事速かに裁許になりしに、町家の者は其徳に懐き、敬ひ尊みけり、 斯て平八郎勤役中、紀州家の領分と岸和田の領分と、公事起りてより数年に 渡るも、一方は彼権家の事ゆゑ、夫なりに成行居しが、此度平八郎が掛りに         ぶんみやう                まけ て吟味をせしに、分明に岸和田の方利分になり、紀州方は負公事と、すら /\すら裁許に及びける、 又同組の与力にて弓削田新左衛門といふ者ありしが、性質心良からぬ者にて、           たちさは         まいない 公事訴訟等何によらず関係りて、殊に賄賂を貪ぼり取、有まじき事ども多か りしを、平八郎が智略にて、是を見顕はし、屈伏させ、遂に腹を切せしとぞ、          ひ ま 又平八郎、勤仕の閑暇は、弟子達を多く集め、武術学問を教へけるに、其徳 を慕ひて、遠近より門に入る者少なからず、 然れば、今まで町与力は、町家の贈物などにて、其家甚だ富たりしに、平八          ことわり 郎は贈物など少しも謝絶受ざれど、門弟等よりの贈物にて、却て外の与力よ    くらしかた りは其生計豊かなりしと、           よはひ 然れど、平八郎は、其齢三十歳に至りしも、未だ一子も儲けざれば、門弟の    つゞきあひ 中に、縁続なる西組の与力にて、西田清之進といへる者の子を貰ひて我子と             さすが         たけ す、是ぞ大塩格之助にて、偵は養父の見立に違はず、文武に長し天晴若者、 末頼母しくぞ見えたりける、                ない/\ また公事訴訟等の願ひの儀に付、密々頼み込の筋ありとて、宅へ来り賄賂を 遣ひ込こそ、先々より有慣習とは言ながら、平八郎は潔白なれば、天下の奉 行所へ願ひ出て、吟味を遂れば黒白の相分る儀を、宅にて会ては裁許の障り と、面談せず、又家内の者などは、別して会ぬ様禁じ置しと、          まなこくら 兎にも角にも金銀に眼眩む世の中に、平八郎一人、心と動ぜず、誠に是ぞ役        たつと 人なりと、人々尊み敬ひけるが、不思議なるは、其頃に専ら天下御法度の切                  いつしか 支丹宗門の徒を見顕はしける処より、早晩慢心の気を発し、後々容易ならざ る儀を企てし事、勢ひとははいへ、是非もなき次第なり、是全くは切支丹を                            あへ 見顕はされたる豊田貢が、其怨魂の為す業なりと、人々噂し合りとぞ、



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その8


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『大塩平八郎』
その11
 


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