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たが
偖この組中にて平八郎より上なる者の指揮にても、理に違ふことある時は、
へりく
決して之を承引せず、只物事正直に身を慎み謙だり、勤に出精なしにける、
かれ たつと
時の奉行高井山城守殿にも、是を見聞し給ひて、渠が秀才を尊んで、吟味方
となし給ふに、公事訴訟のことなどは、是非の明断速かにて、此時までの公
たちまち ま ゝ
事訴訟は、兎角に富家の金銭を遣ひて、非なるも忽地に是となる事の往々あ
おのづ
りしが、平八郎が出役せしより、自然と右等の事などなく、善悪邪正分明に、
すみや なづ
事速かに裁許になりしに、町家の者は其徳に懐き、敬ひ尊みけり、
斯て平八郎勤役中、紀州家の領分と岸和田の領分と、公事起りてより数年に
渡るも、一方は彼権家の事ゆゑ、夫なりに成行居しが、此度平八郎が掛りに
ぶんみやう まけ
て吟味をせしに、分明に岸和田の方利分になり、紀州方は負公事と、すら
/\すら裁許に及びける、
又同組の与力にて弓削田新左衛門といふ者ありしが、性質心良からぬ者にて、
たちさは まいない
公事訴訟等何によらず関係りて、殊に賄賂を貪ぼり取、有まじき事ども多か
りしを、平八郎が智略にて、是を見顕はし、屈伏させ、遂に腹を切せしとぞ、
ひ ま
又平八郎、勤仕の閑暇は、弟子達を多く集め、武術学問を教へけるに、其徳
を慕ひて、遠近より門に入る者少なからず、
然れば、今まで町与力は、町家の贈物などにて、其家甚だ富たりしに、平八
ことわり
郎は贈物など少しも謝絶受ざれど、門弟等よりの贈物にて、却て外の与力よ
くらしかた
りは其生計豊かなりしと、
よはひ
然れど、平八郎は、其齢三十歳に至りしも、未だ一子も儲けざれば、門弟の
つゞきあひ
中に、縁続なる西組の与力にて、西田清之進といへる者の子を貰ひて我子と
さすが たけ
す、是ぞ大塩格之助にて、偵は養父の見立に違はず、文武に長し天晴若者、
末頼母しくぞ見えたりける、
ない/\
また公事訴訟等の願ひの儀に付、密々頼み込の筋ありとて、宅へ来り賄賂を
遣ひ込こそ、先々より有慣習とは言ながら、平八郎は潔白なれば、天下の奉
行所へ願ひ出て、吟味を遂れば黒白の相分る儀を、宅にて会ては裁許の障り
と、面談せず、又家内の者などは、別して会ぬ様禁じ置しと、
まなこくら
兎にも角にも金銀に眼眩む世の中に、平八郎一人、心と動ぜず、誠に是ぞ役
たつと
人なりと、人々尊み敬ひけるが、不思議なるは、其頃に専ら天下御法度の切
いつしか
支丹宗門の徒を見顕はしける処より、早晩慢心の気を発し、後々容易ならざ
る儀を企てし事、勢ひとははいへ、是非もなき次第なり、是全くは切支丹を
あへ
見顕はされたる豊田貢が、其怨魂の為す業なりと、人々噂し合りとぞ、
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『天満水滸伝』
その8
幸田成友
『大塩平八郎』
その11
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