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嬰児の如く
至人の徳は現はれず
その内含の深くして無心に似たる
之を嬰児の天真に喩ふべし
柔和無敵の身
さ
毒虫も螫さす、猛獣も馴れむ
而して鷙鳥すら之を護らむ
見よ!嬰児は骨弱く節柔かなり
而もその手の握ること極めて固し
これ何が故ぞ
嬰児は未だ男女の道を知らず
一向に「道」の自然に在りてそだちぬればなり
蓋し、かくの如き無慾は「徳」の精神なり
見よ!嬰児は終日号泣すれども
その声終に嗄るゝことなし
これ何が故ぞ
嬰児は哀みて傷るものにあらず
彼の啼くはおのづからにして歌うなればなり
蓋し、かくの如き調和は「徳」の姿なり
学びて嬰児となるとは、結局自己の旧我に死することに外なりません。
それは新しく嬰児と生まれる為めには、何うしても一番の大死を要する
からであります。曰く致良知、曰く変化気質、曰く一死生、曰く去虚偽、
之に帰大虚を加へて中斎学の五綱領と致しますが、前四者は究極すると
ころ、帰大虚の方法でありまして、四者何れの門より進んでも、その徹
底するところ、大虚の至誠所に帰到し得べきであります。その何れに致
しましても、旧我に死して太虚国の嬰児と新生するの道を親切に指示さ
れて居る訳なのであります。
それで五鋼領の説明に入るに先だち、もう一度嬰児の心がいかに空虚
にして、私共が帰大虚の工夫を修練するの模範となるかに就いて考へて
見ませう。
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鷙鳥
(しちょう)
鷲、鷹のよう
な、猛禽
嗄(か)る
『洗心洞箚記』
その6
高瀬武次郎
「大塩中斎」
その34
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