岩波書店 1940 より
序 説 |
大塩中斎は尋常一様の儒者と其の趣きを異にし、身を持すること極めて巌、然して子弟を教導すること亦た極めて厳格なりしは周知の事なるも、池田草奄が
大塩中斎は平生精神気魄極めて盛なり。時々昼夜寝ねざるもの十余日、精神故の如し。常に酒を飲まず、飲めば即ち斗半を尽して平日に異なるなし。飯は一度に十杯位、およそ路を行くこと一日に三十里。朝は常に八つ 午前二時 に起きて天象を観、門人を召して講論す。冬日と雖も戸を開いて坐す。門人皆堪へず、而も中斎は依然として意となさず。その気魄の人を圧する、門人敢て仰ぎ観ず。その家に在るや、賓客の来ること虚日なく。又自ら立つて門人に武技を教ふ、終日多事なり。而して其の読書該博なること此の如し、抑も又た径しむべきなり。
と、其の聞書に記せるは、以て中斎の気魄風格を伝へて余りあるものに庶きか。而して中斎の教育方針は洗心洞入学盟誓八條によりて知ることを得。其の盟誓に曰く、
聖賢の道を学んで以て人たらんと欲せば、則ち師弟の名正さざる可からざるなり、師弟の名正しからざれば、則ち不善醜行ありと雖も、誰か敢て之を禁ぜん。故に師弟の名誠に正しければ、則ち道其の間に行はる。道行はれて而て善人君子出づ。然らば則ち名は問学の基なり、正しうせざるべけんや。某孤陋寡聞と雖も、一日の長を以て其の責に任ず。則ち師弟の名を辞するを得ず、而して其の名の壊ると壊れざるとは、大率下文條件の立つと立たざるとに在り。故に盟を入学の時に結んで以て預め其の不善に流るるの弊を防ぐ。
一、忠信を主として聖学の意を失ふべからず、若し俗習に牽制せられて廃学荒業以て奸細淫邪に陥らば、則ち其の家の貧富に応じ、某告ぐる所の経史を購ひ以て出ださしむ。其の出だす所の経史尽く之れを塾生に附す。若し其の本人にして出藍の後は、各其の心の欲する所に従うて可なり、
二、学の要は孝弟仁義を躬行するにあるのみ、故に小説及び異端人を眩するの雑書を読むべからず、若し之れを犯さば、則ち少長となく鞭朴若干、是れ即ち帝舜朴もて教刑をなすの遺意にして某の創する所にあらざるなり、
三、毎日の業、経業を先んじて詩章を後にす、若し之れを逆施せば、鞭朴若干、
一、陰に交を俗輩悪人に結び、以て登樓縦酒等の放逸を許さず、若し一たび之を犯せば、則ち廃学荒業の譴と同じ。
一、宿中私に塾を出入するを許さず、若し某に請はずして以て擅に出づれば、則ち之を辞するに帰省を以てすと雖も、敢て其の譴を許さず、鞭朴若干。
一、家事に変故あらば、則ち必ず諮詢せよ、之に処するに道義あるを以ての故なり。某人の陰私を聞かんと欲するにあらざるなり。
一、喪祭嫁娶及び諸の吉凶、必ず某に告げ、与に其の憂喜を同うせよ、
一、公罪を犯せば、則ち族親と雖も掩護すること能はず。之を官に告げて以て其処置に任せよ、願くば們小心翼々、父母の憂を貽すること莫れ、
右数件忘るる勿れ、失ふ勿れ、此れ是れ盟をこれ恤へよ、(原文漢文)
此の一文以て硬教育家中斎の面目躍如たるを窺ふに足らんか。人格完成を教育の本義として、「学の要は孝弟仁義を躬行するにあるのみ」と喝破せるは至言と称すべし。此の硬教育家中斎の学説は、一言以て之を尽せば、曰く致良知、曰く帰太虚、曰く気質変化、曰く死生一貫、曰く去虚偽なり。然して之を総括するに孝悌を以てせるものなり。然して之を洗心洞箚記の自序によりて窺ふに、前五項は実に中斎学説の総綱を括るものにして、而も去虚偽と死生一貫は普遍的道徳に属し、気質変化は朱子学の套語、然して他の二項こそ中斎学説の枢軸をなすものにして、特に太虚は中斎学説の根幹をなし最も自得得力の存する処か。然して致良知より端を発するものなり。