湖上の難
死に瀕す
致良知存
誠敬の工
夫
晴朗湖上
の佳歌
我れを金
玉にす
京師を眺
む
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詣藤樹之墓
中斎の此行、頗る致良知、存誠敬の実功を得たり。固
より尋常の遊記にあらず。吾人其文を愛するにあらずして、
其心術涵養に裨益多きを喜ぶ。而して中斎最も精密に其実
況を叙したれば、聊か之を抄訳して其梗概を示さん。
天保三壬辰の夏六月、予閑逸無事を以て浪華を発し、伏水
に至り、江州に之き、湖に泛ひ、以て中江藤樹先生之遺跡
を小川村に訪ひき。小川村は西江比良嶽の北に在り。先生
は我邦王学の開祖なり。其墓に謁し、其容儀道徳を想像す
れは、涙墜ちて臆を沾す。其書院は存すと雖も、今先生の
学を講する者なし。其門人の苗裔、医を業とする者、乃ち
之を監守すること、恰もを守り、神に事ふるが如く然り。
予是に於てか、詩を賦す。其詩に曰く、
ノ ルノ
院 畔 古 藤 花 尽 時
ヒ ニ ス ノ
泛湖 来 拜 昔 賢 碑
リ タル ノ
餘 風 有似 比 良 雪
シ ス ヲ
流 滅 無人 致此 知
と、帰る時、大溝港口に於て復た舟を買ふ。予及び従ふ所
の門生、家僮と共に四人のみ。再び湖に泛び、南の方坂本
に向ふ。大溝より坂本に至るの水程凡そ八里許。纜を解き
緒を結ぶ、時既に未申の際、日晴れ浪静かに、柔風の只颯々
たるのみ。小松近傍より北風暴かに起りて、湖を囲み、四
山各声を飛ばす。狂瀾逆浪、或は百千怒馬陣を衝くが如く、
或は数仭の雪山前に崩るるが如し。他の舟船、皆な既に逃
れて一も有るなし。其の帆を張る至て低く、只三尺強。而
も其怒馬に乗じ、其雪山を踏み、以て直前勇徃、箭の馳る
が如き者、只是れ吾が一舟のみ。忽ち鰐津に到る。嘗て聞
く、鰐津は平日風なき時と雖も、回淵藍の如く染み、盤渦
谷の如く転し、巨口大鱗の遊泳出没する所と、乃ち湖中の
至険なり。而るを況んや。風波震激の時をや。蓬を推して
水面を見れば、則ち所謂地裂け、天開くの勢を為す。奇な
るかな、颶風忽ち南北両面より吹て相ひ軋る。故に帆腹表
裏饑飽定まらず。是を以て舟進て、而して又退き、退て而
して又進む。右傾けば、則ち左昂り、左傾けば、則ち右昂
る、踊るが如く舞ふが如く、飛沫峻く濺き、蓬に入りて牀
を侵す、実に至危の秋なりき。舟子呼て曰く、他舟皆な幾
を知る、故に之を避く、某の如きは、独り誤て前知する能
はず、乃ち此に至りぬ。吁、命なるかな。然も客に対する
の面目なしと。吾其言意を察するに、共に魚腹に葬らるゝ
の患を免れざるに似たり。因て却て舟子を慰喩して曰く、
爾の誤て此に至るも命なり、吾輩此に至るも亦命なり、倶
に之を如何ともするなし。只天に任せんのみ、何ぞ患るに
足らんやと。門生家僮既に悪酒に酔へるが如く、頭痛み眼
眩み、其心覆溺を慮る者の如し。予と雖も、実に死すべし
と謂へり。故に憂悔危懽の念を起さざるを得ず。是時忽ち
シ ノ ス ノ ヲ
藤樹書院に於て作る所の無人致此知の句を憶ひ、心口相
語りて曰く、此則ち其の良知を致さざるの人を責むるなり。
而して我若し憂悔危懼の念を起して、自ら責むることなけ
れば、則ち躬を待つこと薄くして、人を責むること却て厚
し、是れ怨に非るなり。平生学ぶ所果して何くに在ると。
直ちに良知を呼び起せば、則ち伊川先生の誠敬を存するの
言も亦一時に起り来れり。因て其飃動中に堅坐すれば、乃
ち伊川陽明二先生に対するが如く、主一無適、我の我たる
を忘る、何如に況んや、狂瀾逆浪をや。憂悔危懼の念、氷
雪を熱湯に投ずるが如く、立どころに消滅して痕なし。此
より凝然動かず、而して飃風も亦自ら止み、柔風依然舟を
送り、終に坂本の西岸に着きぬ。此豈に天に非るか。時に
夜既に二更なりき。門生家僮皆な回生の思を為して、互に
恙なきを賀し、遂に坂本に宿す。明日暁天晴朗、乃ち比叡
山に登り、四明の最高を尽くす。俯して東北を視れば、則
ビョウマン キノフ
ち蓮湖森漫、疇昔経歴せる所の至険皆な一眸の下に在り。
風無く、浪静かに、水光天を浸たす、実に一大円鏡なり。
漁舟点々黶子の如く、帆檣数千、東に去り、西に来る。平
地よりも易く、危懼すべき者なきに似たり。是に於て、門
生余に謂て曰く、昨日の憂悔危懼は、抑も夢か、亦た天吾
師を譴めしかと。余曰く否な、夢に非ず、真境なり、天譴
に非ず、我を金玉にするなり。何となれば、其変に逢ふに
あらずんば、即ち焉んぞ真の良知と、真の誠敬を窺ふを得
んや。又焉んぞ真に伊川陽明両先生に対するを得んや。故
に曰く、真境にして夢に非るなり、我れを金玉にするもの
にして、天譴に非るなりと、然らば則ち福にして、禍に非
るなり。諸子亦徒らに憂悔危懼を追思するなくして可なり。
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且つ諸子何そ復た夫の城邑を視ざるや、其れ近く杖履の底
テツ
に在りて、峰窩蟻垤の如き者は、富貴貧賤の同しく棲む所
なり。故に余は、却て夫子が東山に上りて、魯を小なりと
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せし興を得て、心広く体胖かなり。眼豁かに、脚軽し、諸
子も亦宜しく共に是の興味を同じくすべしと。是に於て又
詩を賦しき。詩に曰く、
リ キ ニ
四 明 不独 尽湖 東
メバ ヲ シ
西 眺洛 城眼 界 空
エ
人 家 十 万 塵 喧 絶
クノミ ノ フヲ ニ
只 聴一 禽 歌冷 風
シャ サ シ
胸中益々灑灑然として、一点の渣滓なきを覚えき。因て謂
へらく、吾輩纔かに其境に即きて良知を呼び起し、誠敬を
存するも、猶ほ且つ至険を忘れ了りぬ。今や嶽に登りて万
死の処を顧みると雖も、毫も心寒股慄の態なく、湛湛悠悠、
ハ モ クス ヲ
却つて心聖人同焉の興を得たり。而るを況や、伊川先生の
如く、昼夜を通し、語黙を徹して誠敬を存すれば、即ち其
の堯舜の事と雖も、只是れ太虚中に一点浮雲、日を過ぐる
が如しと謂へるは、実見にして虚論に非ること、断じて知
るべしと。滴々先生州の水厄を記せるに因みて、遂に又
余が湖上の事に及びぬ。此れ比して以て夸言するに非ず、
只人をして良知を致せば、即ち是れ誠敬と為り、誠敬を存
すれば、則ち良知昭昭然として、日月の如く、初より二致
なきを知らしめんと欲するなりと。
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