Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.12.19

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その9

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 交遊(6)管理人註

   

明年四月、洗心洞剳記刻成る。此時山陽の子余一、江戸よ り芸に帰省するの途次、中斎を訪ひ、謀るに先考山陽の碑 面謚号の字の大小を以てす。中斎因りて剳記一部を与へ、 且つ曰ひき、     ヘラク ホ ルカ  ニ     レトモ ニシテ ラハ  吾心以為猶山陽也。然山陽而有霊。    マシ ル サ   ヲ   ヲ  必含両巻之憾於地下也歟。   シメ  リテ        ニ テ レハ ヲ  而今由其贈序之文以観之。   チ ル ヲ     シ   ニ ク     ル ヲ ハ  則知我者。莫山陽若也。知我者。   チ ル     ノ         レハ    ノ  即知我心学者也。雖我心学。   チ ズト サ        ヲ      シ  スカ ヲ  則未尽剳記之両巻。而猶如之也。 吾を知る者に山陽若くなしと、固より当に然るべし。而し て山陽を知る者、亦中斎に若くなきなり。知己や獲難し、 山陽去て復た山陽なし。山陽嘗て私かに中斎の大急過鋭を 憂へしが、果然中斎は、之が為めに軽挙、事を誤りぬ。天 若し山陽に仮すに、尚ほ六年を以てせば、能く中斎を輔け て、救民の良策を講ぜしめしならん、嗟。

箚記附録抄 石崎東国 『大塩平八郎』 その55


「大塩中斎」目次/その8/その10

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ