吟味役
妖教を除
く
官紀を振
粛す
僧侶の非
行を発す
墳墓の地
を訪ふ
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仕 路
中斎の仕路に在るや、早とに剛直廉潔を以て称せらる。文
政四年高井山城守実徳は、大阪東町奉行と為る。中斎は、
早く其知遇を受く。高井山城守将に驥足を展べしめんとし、
擢でて吟味役と為す。是れ一小官たるに過ぎざれども、刑
律を案じ、罪囚を懲らし、奸邪を摘発するの職なれば、直
ちに人民に接するが故に、其人を得ると否やは、大に一般
の治績に関係す。又其職に在る者も、一挙して其手腕を顕
はすを得べし。中斎自ら持するや謹厳、其言を処するや公
平、学識僚属に超え、志気方さに豪壮なり。当時既に幕末
に及び、百事悪弊を以て充さる、特に公事訴訟は、賄賂苞
苴に依て左右せられたる時なり。中斎は威武も屈せず、権
勢も避けず、自ら信ずる所を行ふて、秋毫も仮借せず、深
タ
く賄賂の弊を矯む。快刀乱麻を截ち、利鋒盤根を断つが如
く、姦猾の同僚為めに肝胆をして寒からしむ。此時に当り
て益田貢は妖教を主唱して愚民を迷はし、利を貪る。妖巫
ミツキ
益田貢は、肥前国唐津の浪人、水野軍記の弟子なり。天帝
の画像を拝し、神文を唱へ、指を裂き血を出し之を画像に
瀝き、陀羅尼加持祈祷より、金銀を集むる法、妖術の印文
に至るまで、種々の秘法を受け、今や京都八阪の陰陽師と
称す。所謂切支丹宗徒なり。中斎一挙して此大害を除く。
妖巫益田貢は、大阪二郷引廻しの上、磔に処せられ、門弟、
信徒皆な刑に処せらる。此一挙や、実に、王陽明、宸濠を
擒するの概なくんはあらす。是に由て平八の名、京畿に轟
き、市人共に先生を以て称するに至る。実に文政十年四月
なりき。
ユ ゲ タ
文政十二年三月大防西組の与力弓削田新左衛門の姦曲を指
摘して、之に割腹を遂げしめ、大に官吏の風紀を振粛せり。
翌年、又僧侶の非行を鉤発して之を刑に処す、当時僧徒非
コウ
法乱行、愚民を蠱惑して私を挟み、利を営む者比々是なり。
中斎命を受けて悪僧を召し、一方には仏門の戒律を説き、
一方には国家の法度を示し、深く其罪悪を責め、其罪科に
応し、重きは之を遠島に流し、其余、軽重に随て之を処断
せり。宗教の腐敗之がために一洗し、僧徒の堕落も之かた
めに改新せり。
天保元年七月、知遇の上官、高井山城守は、老を告け、大
阪東町奉行の職を辞せり。中斎時に年三十有七。跡部良弼
代りて奉行と為り、猜忌にして心に中斎の剛直を害とす。
中斎も亦七月遂に致仕す。招隠之詩に曰く、
メテ カナリ
昨 夜 間 夢 始 静。
タリ ニ
今 朝 心 地 似 僊 家。
カ ラン ルヲ カラ
誰 知 未 乏 素 交 者。
ノ
秋 菊 東 籬 潔 白 花。
此より全く仕路に念を絶ち、養子格之助をして其職を嗣が
しむ。乃ち閑を得て一たび尾張に遊び、祖先墳塋の地を訪
ふ。中斎は、嘗て天文年間に駿、遠、参に威を震ひし今川
義元の末葉なり、蓋し義元曾て桶峡間の戦に命を殞しゝよ
り、其後子孫尾張に住したればなり。帰阪の後は一意洗心
洞の学風を宣揚するを以て任と為せり。
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豊田貢
が正しい
大阪西組
弓削
新左衛門
が正しい
高井の
後任は
曽根日向
守
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