Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.2.6

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その31

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 学説(17)
           ニス    ヲ
  第四綱領―一死生(1)
管理人註

   

一死生は人生の最大難事なり。凡そ有情の動物生を好み死を 忌まざるはなし、彼を好み此を忌むは、其死生を以て一なり とする能はざるに由る。死生一貫の説は、荘周を始めとして、 古来の学者共に口にする所なり。昔禹河を渡る時、大龍の舟 を覆さんとせしとき、天を仰て「生は寄なり死は帰なり」と 言ひしとか。然れば現生を視ること旅舎の如しとするは古よ りあり。然れども死生一貫の説は、特に宋明の代に及びて盛 に、陽明子に至て、其極に達したるが如し。而して我国王学 者は皆な此観に達せざるはなかりしなり。藤樹は一死一生を 以て一氷一釈、水は依然たるに比して曰く、「湛然虚明一池 水。厳凛寒気堅氷至。春来嵐光和煦時。湛然虚明一池水」と。 又蕃山は「死は気と形と離るゝ也云々、鼻口を塞ぎて息をつ むれば死するは、気と離るゝが故也」と。尚ほ彼等は既に陳 べしが如く、詳密に死生一貫を説けり。陽明学者が千軍万馬 の間に、馳突激闘して、泰然として迫まらざるもの多きは、 職として此観に由るならん。又困難に処するも従容として楽 天主義を取れるは、常に其生死の間に疑なきが為なり。死生 の際に談笑するは、道理心肝を貫くに由らすんばあらす、徒 らに客気勝心者流の所為に倣ふものにあらず。所謂大悟徹底 より来りて死生を一にするものなり。


   


井上哲次郎「大塩中斎」その26


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