一死生は人生の最大難事なり。凡そ有情の動物生を好み死を
忌まざるはなし、彼を好み此を忌むは、其死生を以て一なり
とする能はざるに由る。死生一貫の説は、荘周を始めとして、
古来の学者共に口にする所なり。昔禹河を渡る時、大龍の舟
を覆さんとせしとき、天を仰て「生は寄なり死は帰なり」と
言ひしとか。然れば現生を視ること旅舎の如しとするは古よ
りあり。然れども死生一貫の説は、特に宋明の代に及びて盛
に、陽明子に至て、其極に達したるが如し。而して我国王学
者は皆な此観に達せざるはなかりしなり。藤樹は一死一生を
以て一氷一釈、水は依然たるに比して曰く、「湛然虚明一池
水。厳凛寒気堅氷至。春来嵐光和煦時。湛然虚明一池水」と。
又蕃山は「死は気と形と離るゝ也云々、鼻口を塞ぎて息をつ
むれば死するは、気と離るゝが故也」と。尚ほ彼等は既に陳
べしが如く、詳密に死生一貫を説けり。陽明学者が千軍万馬
の間に、馳突激闘して、泰然として迫まらざるもの多きは、
職として此観に由るならん。又困難に処するも従容として楽
天主義を取れるは、常に其生死の間に疑なきが為なり。死生
の際に談笑するは、道理心肝を貫くに由らすんばあらす、徒
らに客気勝心者流の所為に倣ふものにあらず。所謂大悟徹底
より来りて死生を一にするものなり。
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