Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.12.18

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その8

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 交遊(5)管理人註

異種の知 音

天保三壬辰の歳四月、山陽洗心洞に過ぎり、置酒高談、互 に肝を披く。主客の知遇一朝にあらずと雖も、其学を問 へば、自ら相容れざるものあり。中斎は太虚、知行合一、 致良知を以て標的と為し、山陽は、則ち歴史、文章、詩歌 を以て自ら任ず。此に由て之を観れば、其相ひ知るや必ず 他に因由の存するものあらん。然れども、山陽毎に中斎の 説を聴て善しと云ふ、其見識に於て相合ふ所ありしか。中 斎嘗て古本大学刮目を著はす。此日山陽其稿本を読で、深 く之を賛し、自ら之が序文を作らんことを約す。又中斎未      サツ 刻の洗心洞剳記若干條を出して之に示す、山陽読み来りて 深く聖学の奥を得るに服す。未だ其半に至らずして日已に 暮る。茲に於て其上梓を待て、評論せんことを告げて袖を 分つ。翌五月山陽血を咯き病革まる。中斎之を聞き、直ち に洛に上り、其家に到る。到るの日、山陽遂に易簀す。中 斎哀悼痛哭して家に帰る。 嗚呼、山陽、中斎を知り、中斎山陽を知る、而して共に是 れ一代の俊髦。儒林の狂逸を以て目せらるゝ者、交情日に 密に、送迎愈々繁からんとする時、一朝溘焉として永く相 訣る。剳記の評論、刮目の序文、空しく一片の諾を留めて 追慕の情を増すのみ。 山陽と中斎は、氷炭の如くなるべくして、而も管鮑の情あ り。世人之を怪むは、固より其所なり。中斎も亦嘗て自ら 謂ひき、   レ     ク シ   ヲ   スルハ ニ              ル  夫山陽之善属詩文通史事。詩客文人之所知。   シメ レハ チ テ リ  ト   シ   ニ  而我 則嘗為吏参与訟獄。   ツ スル          ヲ   ヲ  且講陽明子致良知之者也。   テ   ヲ  レハ ヲ  チ ク ルカ         レ  リ  以世情之。則如山陽相容然。   レトモ     エ     ルハ エ  ソヤ  然往来不断。送迎不絶。何也。   ノ ミスル ヲ ハ   シメ ラ ノ ヲ  余善山陽者。不其学。    カニ ル   ルヲ ニシメ  而竊 取其有胆面識矣。     リテ ノ   ル テ ミスル ヲカ   ヨリ  ラ  山陽有何所観以善我乎。吾初不識也。 蓋し二人が相得るは、気慨と胆識に在りしが。威武も屈せ ず、権貴も媚びず、勇往直進、唯其の所信に任し、浩浩焉 として心を百世の表に涵するは、則ち倶に共に之を同ふす る所。唯其れ相契ふ所此に在りて存す、是れ世人が其交を 怪み、自己も亦之を怪みし所以なり。

   


石崎東国『大塩平八郎伝』その54


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