Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.12.17/2009.4.28修正

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎」

その7

高瀬武次郎 (1868−1950)

『日本之陽明学』榊原文盛堂 改訂 1907 所収


◇禁転載◇


 交遊(4)管理人註

山陽と中 斎の交情

嘗て山陽来り訪ふ。適々中斎将さに官署に上らんとす。山 陽独り、書斎に入り、古詩一篇を賦し、之を壁上に粘して 去る。此一篇亦以て中斎の小伝に代ふべし。     フ    ヲ   シテ ヲ  ル  ニ   リテ ヲ ル レニ    訪大塩君。謝客而上衙。作此贈之。  頼山陽   テ ニ メ    ヲ     リテ ニ ス    ヲ  上衙 冶盗 賊。 帰家 督生 徒。      シ ヲ ル    ヲ          ホ  ク シキヲ  獰 卒 候門 取裁 決。 左 塾 猶 聞 喧。       レ       ヲ       リ  家 中 不鬻 獄 銭。 唯 有 々 巻 書。    ム  ルヲ     ニ  ムヲ         ニ キ  ム    ヲ  自 恨 不仔 細 読。 五 更 已 起 理案 牘。   ヌ ノ    スコトヲ    ヲ               ラ  知 君 学 推王 文 成。 方 寸 良 知 自 昭 霊。      シテ ニ  リ         シテ ヲ ニ  ブ       ト  八 面 応鼓 有余 勇。 号君 当呼 小 陽 明。   レ テ  シ ヲ  フ  ルニ          ルニ バ メ    ヲ  吾 来 侵晨 及出。 交 談 未半 戒鞭 韈。   メテ ヲ  ニ カシム  ノ  ヲ     シテ ク      ルヲ    ニ  留我 恣 抽満 架 帙。 坐 聞 蝉 声 在。          ラ ムニ    ダ  ル      ランコトヲ ヲ  巧 労 拙 逸 不異。 但 恐 折 傷利 器。   ル ガ       ニ メンコトヲ ヲ   メテ ヲ リ  ニ    ツ  ヨ  祈 君 善 刀 時 蔵 之。 留詩 在壁 君 且 視。 二人の交情、管鮑も啻ならず。山陽且つ賛し且つ戒む。賛 する所は、精勤修養に在り。戒しむる所は、太急過鋭に在 り。世に山陽の資性気格を知る者極めて多く、中斎の真価 を知る者極めて少し。惟彼等が管鮑の交情を推さば、則ち 中斎を誤解するの失を去るを得ん。 天保元年庚寅七日、中斎致仕して一たび尾張に遊び、祖先 墳墓の地を訪はんとするや、山陽序を作りて之を送る。今 其後半を訳述して其間の消息を示さん。  子起(中斎の字)作て曰く、君、吾を退く焉そ敢て進まん、  遂に意を決して退を請ふて允を得たり、聞者驚愕せざる  はなし、野人頼襄あり、独曰く、子起固より当に然るべ  し、然るに非れば以て子起と為すに足らず、吾彼、其心  壮にして身羸へ、才通して志介、功名富貴を喜ぶ者に非  ず、喜ぶ所は閑に処て書を読むに在るを知る、吾嘗て其  の精明を過用し、鋭進折れ易きを戒む、子起深く之を納  る、而して、已むを得ずして起つ、国家の為に奮て顧み  ざるのみ、衆望翕属するの時権勢を脱去して、毫も顧恋  なし、唯然り、故に其任用に当ては、請託を呵斥し、苞  苴を鞭撻し、凛然として之を望む者をして寒氷烈日の如  くならしむ、以て其功を成すを得しのみ、故に子起を観  るは其敏に於てせずして其廉に於てす、其精勤に於てせ  ずして其勇退に於てすと、聴者以て然と為す、子起の家  系は尾張に出て、同族之に在り、今将に往て之を省せん  とす、身名両なから全し、国に報し家に報し、其先墳を  拝す、以て告くあるべきか、時方さに秋なり、龍田に路                    タツ  して、中瀑を過き還て高雄栂尾の諸勝を計ねんと欲す、  エビラ              クツワ  を脱するの鷹の如く轡を卸すの馬の如し、其の俊気健  力を余して自ら空を撃ち野に騁す、快如何ぞや、襄故ら  に此を言ひ且つ予め其の再びに就き轡に就く勿らんこ  とを嘱す、文政十三歳庚寅に在り秋九月

山田準 『洗心洞 箚記』(抄) その41 『洗心洞 箚記』(抄) その35


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