Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩騒動と天保改革」

その2

高須梅渓(1880-1948)

『国民の日本史 第11編 江戸時代爛熟期』早稲田大学出版部 1922 所収

◇禁転載◇

第十九章 大塩騒動と天保改革
  第一節 大塩平八郎の人物と其周囲(2)
管理人註


平八郎の性
格



















平八郎の風
采と閲歴

 かうした時――幕府の財政難、政治的腐敗、旗本の堕落などが重なつ て居る時に、陽明学者大塩平八郎が、眇たる一与力出の身を以て、幕府 の頭上に先づ一大鉄槌を加へた。彼れは実行家と云ふよりは、寧ろ理想 家で、民衆的な役人で、峻直潔癖、剛情な癇癪持ちで、又学者として矜 持するところの高い人だつた。彼れの家は代々与力を勤めたので、彼れ も二十六歳の時家督を継いだ。彼れの両親は早く死んだ為め、彼れは祖 父の手で養はれた。彼れの学問は、主として独学自修の上に築き上げら れた。東都遊学のことは虚説である。また大阪で中井竹山の奠陰社に通 学したと云ふこともしつかりわからぬが、此方は事実に近いやうだ。  平八郎は、身長五尺五六寸あつて、少し痩せて居たけれども、風采堂々 として、何となく大藩の家老位にし思はせるところがあつた。顔色は白 くて、眼が細く少し釣つて居て、凛としたところがあつた。弁舌は極め て爽かで、どこか鋭さを帯びて居た。彼れは早くから肺疾に罹つて、始 終それに苦められて居たが、後にはそれが固まつてどうにかかうにか健 康を維持することが出来た。孤児、肺疾の人、自助の人、それが青年時 代の平八郎だつた。

「御触」
その2












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