Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.5.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その25

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

第五節 門弟及び同志の略伝 (4)

管理人註
   

白井儀次郎――河州渋河郡衣摺村百姓市太郎の弟で、白井彦右衛門の従弟  にあたる、天保元年に入塾した。同七年二月病気の為に退塾し、彦右衛  門方に引取られた。天保六年版の『剳記』巻頭の後に門人白井為本謹書  とあるが、為本は、即ち儀次郎の事であらう。 深尾才次郎――河州交野郡尊延寺村百姓次兵衛の弟である。白井孝右衛門  の縁者といふことである。 茨田郡次――一本に氏を松田、名を軍次とある。河州茨田郡門真三番村の  百姓であつた。天保元年に白井孝右衛門の紹介で入門した。 高橋九右衛門――百姓である。白井孝右衛門の紹介で天保五年頃から大塩  邸の勝手向きの世話をした。 柏岡源右衛門――摂州東成郡般若寺村の年寄だ。同村橋本忠兵衛の紹介で、  天保五年に入門した。 柏岡伝七――摂津東成郡般若寺村百姓代だ。柏岡源右衛門と同様な方法で  天保四年に入門した。 西村利三郎――河州志紀郡弓削村の百姓だ。一名七右衛門と云つた。 上田孝太郎――摂州東成郡沢上江村の百姓で、与一右衛門の忰であつた。  文政十二年の十五歳に入門して、天保六年に退塾した。 木村司馬之助――本家権右衛門の忰だ。熊次郎が入門してから、文政十一  年頃、大塩邸に出入した。 横山文哉――肥前国三原村の出生だ。文政四年以来、東成郡森小路村に住  居して医を業とした。文政十一年から平八郎と親しくなつて、七八年前  から妻の母うたを御針として大塩邸に起臥せしめた。  九右衛門、司馬之助、文哉等の三人については、『評定書、吟味書』の 中に『門人』とか『入門』とかいふ文字は見えないのである。 額田善右衛門――摂州伊丹植松村の人だ。騒動の時『檄文』撒きを依頼せ  られた。後に、その行為を改悔した。曾根村地内で縊死した。 堀井儀三郎――播州加東郡西村百姓源兵衛の忰だ。また仁三郎とも云つた。  天保七年四月に入門した。翌年の正月から寄宿した。彼は経済的援助を  したことは、志村周次と同じだ。年齢未詳。 安田図書――勢州山田外宮の師職であつた。同職足代弘訓の紹介で天保七  年十月に入門すると同時に寄宿した。山田奉行所へは表面は『湯治願』  を出した。時は年二十であつた。 松本隣太夫――または林太夫と云つた。大阪中船場の町医師寛悟の忰だ。  天保元年に入門した。騒動の時、年僅かに十四歳、と云へば、松本乾知  とは同姓異名なることは疑ひないのである。



幸田成友
『大塩平八郎』
その94






次衛
「次兵衛」
が正しい
























沢上江(かすがえ)村





幸田成友
『大塩平八郎』
その95
 


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