Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.4.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その7

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

第二章 与力時代
 第二節 官吏の腐敗 (1)

管理人註
   

                     ・・・・  大坂城中の足軽と称する者は最下級の武士のはしくれで、無料で芝居や 見世物を見物するので、いつも問題を起した。また彼等は無銭飲食をした。 彼等に武士的の権力を振り廻はされるので、商人は泣き寝入りになつた。 実際、武士と町人は親しみがなかつた。しかし最上級の双方はそれと反 対であつた。また蔵屋敷には留守居を初めとして、役人が各々にゐるが、 これは自国の物産を贈呈したり、売捌いたり、それを抵当にして、出入町 人から、金を借りるのが職務で、所謂武士の生んだ町人であつた。  公の用談と称しては、出入町人を招いたり、彼等に招かれたりして、青 楼で酒を飲んで、貸借の相談をする。下は掏摸盗人の取締から、上は社寺、 土木、触れ発布に至るまで、総ての方面に渉つて権力を握つてゐる与力、 及び同心の勢力は、実に偉大なものであつた。  従つて与力、同心の出役に伴ふ四ケ所、即ち、天満、天王寺、梅田、千 日前の者どもは、彼等の威力を背景にして、出来得る限りの横暴を振舞つ た。それらの群の親方を長吏と称した。其の下に小頭、若者と称する部下 がゐた。与力、及び同心は、彼等を手先に使つて屡々悪事を働いた。また 各自は受持の町内に婚礼、葬祭などがあれば、それを附込んで、金銭、酒 肴を強請する不良青年の群を追ひ払ふ役目を勤める。さうして相当の報酬 を得てゐた。  西組与力の弓削新右衛門は地方役で、与力のうちで、元老の地位を占め てゐた。それで天満の作兵衛、鳶田の久右衛門、千日の吉五郎等に、新右 衛門の妻の親である新町の妓楼八百新も加入し、大看板を上げて堂々と悪 事を働いた。  彼等の悪事はかうであつた。――権力を以て町家から、金を強請したり、 一事件が落着する毎に大金を賄賂として奪つたりした。若しも自分達の要 求が入れられなかつた時には、暴力を以ても意志を貫徹した。それは委く 成功した。一般民衆は彼等の横暴に戦慄した。しかし町奉行や、その同僚 は手を下すことが、恐ろしいので呆然としてゐた。それほど与力、及び同 心の勢力は根強く、内面的に跋扈してゐた。  頼山陽が『大塩子起(平八郎)の尾張に適くを送る序』にかうある。 『尹心之を知る。而も主客勢懸て、苟傍観し、吏良ありと雖も、衆寡敵 せずして、浮沈客を取る而已。』  と、更に、             はか 『密に命を受くるや、自ら度るに事済まば、国を補ひ、済らずば家は破れ、 家に一妾あり、之れを出して累無からしめ、然して後籌を運ばして、策を 決し、親信を指顧し、発摘意外に出で、其の封豕長蛇たる者を斃し、首を 駢べて戮に就き、内外股栗す。』  新右衛門の行動に関して、高井山城守は大いに弱つたらしかつた。その 解決を平八郎に依仕した。辞退されない気質の彼は、それを一手に引受け ることになつた。  彼はこの事件を解決するのに急いだ。暴力で滅掃を謀るのは根本的に尽 滅せず、表面上の事のみで、僅少の効を奏しても、それは却て伝播させる 基となる。偶像崇拝の意識の強い彼等は、主魁が撤廃されゝば、暗夜に点 火を失つたやうに、迷路し、自然に四散してしまふ。それらの状態に精通 してゐた平八郎は、第一に主魁の滅却に力を注いだ。勿論、一刀のもとに 切棄てることは容易であるが、それは余りに大人気ないし、非人間的だか ら、主魁を改悛させて、此の土地から放逐するように決めた。


























幸田成友
『大塩平八郎』
その24













幸田成友
『大塩平八郎』
その25




















幸田成友
『大塩平八郎』
その173



浮沈客
浮沈「容」
が正しい                 


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