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第七項 才智と涙
平八郎はまた才智に秀れてゐた。如何なる難関でも切り抜けた。
その一例を上げると、紀州藩と岸和田藩との境界の争論を裁決した。当
然、理論上から云つても紀州が勝利すべきを才智を以て翻弄して、岸和田
藩に勝利の旗を翻へした。その腕利には、岸和田藩の連中は驚異した。さ
うして平八郎を更に尊敬するやうになつた。
高槻の或る旧家から、正宗の銘刀を購つた時、高井山城守が平八郎を戒
めて、『これは、王公の帯ぶべきものである。』と云つたのに対して、
『拙者は微賤ながらも、捕盗糾察の職にゐる以上は、宝刀帯ぶるも、緩急
の用に備ふる為だ。』と、彼は云つた。
またかう云ふ話もある。――横暴なる金貸業者が官権を翳して、高利の
貸金をするのを聞いた平八郎は、金子百両を借用した。さうして封の儘に
して置いた。定められた日限が来ると、催促は流矢の如くに烈しくなつて
来た。彼は、わざと黙つてゐた。いよ/\想意の時期に達したときに、金
貸業者を呼んだ。平八郎は元の封印に利息を添へて出すと、同時に刀の抜
いて、『さあ、其の方の首と引換に此の金子を渡す。不埒至極な奴め。』
と懲した。
彼は顔色を変へて逃げようとする高利貸の襟首を引つ掴んで、膝近くに
座らせた。彼は兄弟のやうに親しくなつた。さうして新しい世の中に生き
る新しい道を説いた。その金貸業者は涙を流して退出した。それから金貸
業者は非常に民衆的になつたさうである。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その16
幸田成友
『大塩平八郎』
その19
幸田成友
『大塩平八郎』
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