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彼は智力に長ずると共に、意志もまた甚だ強く、剛直果断、人の容易
に為し能はざることをも断行して、良吏の名を得たことは周知の事実で
ある。彼が与力在職中に世人を驚嘆せしめた事蹟は、妖巫豊田貢を捕へ
て之を刑戮したこと、奸吏弓削新左衛門の私曲非行を摘発して詰腹を切
らせたこと、破戒僧数十人を捕縛して遠島に追放したこと等であつて、
その勢威を憚らず、後患を慮らずして、職務を断行した剛直峻邁の行動
は、彼の意思が如何に強固であつたかを具体的に証明するものである。
彼は此の如く、智力と意思とに於ては、常人の上に傑出したにも拘は
らず、その感情に至つては、甚だしく平静を失ひ、些少の刺戟にも興奮
して、激烈なる憤怒を発し、衝動的の暴行を演じたことが屡々であつた。
彼が矢部駿河守を訪うた時、談偶々国政のことに及んだ処、憤慨の余り
・・・・・
食膳にあつたかながしらなる魚を首より尾まで骨ながら噛み砕いて食し、
家宰某をして狂人と呼ばしめたことがあり、また罪人を鞠問する際、そ
の答弁意に満たざる時は、忽ち白洲に降つて之を殴打したり、また門人
がその命を奉ぜざれば、これを鞭打したりなどして、その行為殆ど狂人
に近いものがあつた。ことに近藤守重に面会した折、空砲を空中に放ち、
巨鼈を生きながら食して、相手の眼を驚かしたが如き、到底常人の所為
と見做すことが出来ない。要するに彼の感情的生活は頗る荒廃して、堅
実真摯なる情緒を欠き、些少の動機でも直ちに激烈なる衝動的行為に出
づるが如き病的傾向が頗る顕著であつた。
それから彼は自身の学問を誇つて、倨傲尊大を極め、容易に人に屈せ
ず、時としては上官をも馬鹿にして、非違を遂げんとするが如き悪癖が
あつた。与力在職中、その上官たる町奉行新見伊賀守と会した折、訴訟
中の文字に『瓢箪町』と書くべきを、誤つて『瓢草町』と書いたので、
伊賀守に詰られた処が、彼は平気な顔をして、『大阪では瓢箪を瓢草と
書く慣例になつてゐる』などゝ出放題を言つて、上官たる奉行を馬鹿に
したこことがある。この一事に徴しても彼が傲慢不遜の人物であつたこ
とが明かである。矢部駿河守が嘗て彼を評して『悍馬の如し』といつた
のは、慥かに肯綮に中つた言である。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その86
鞠問
(きくもん)
罪を問いた
だすこと
幸田成友
『大塩平八郎』
その85
倨傲
(きょごう)
おごりたか
ぶること
『塩逆述』
巻之八之下
その22−2
肯綮
(こうけい)
物事のかなめ
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