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平八郎は、かうして人に物を教へる前には、必ずまづ自分みづからが行
つて手本を示して見せた。だから、平八郎の云ふ言葉は、たとへ一言半句
でも、決してただの理屈ではなかつたから、多くの塾生達の肺腑にぴんぴ
んと響きわたつた。さう云ふわけだから、ここへ入門する者は、誰れでも
う
皆先生平八郎の感化を享けて、純良な立派な人格者になつて往つた。
また平八郎はよく学生を集めて、かう云つた。
『偉いものになれ、偉いものになれ、偉い人間は世界の宝だ、いつでも偉
ひもと
いものは必要なものである、東西古今の歴史を繙いて見るがいい、偉い仕
事をする人間が、どんなに必要なものかが解るだらう、しかし、いくら偉
こころざ
い人間にならうと志しても、一足飛びになることは出来ない、十年とか、
二十年とか、時を限るな、偉い人間になるのは、一生涯の仕事だ、そして、
じつ
それはお前達の、今日一日の良知の力如何によつて別れるのだ、明日だの
あ さ つ て
明後日だのと決して云ふな、人間の一生涯の仕事は明日のことではなく、
け ふ おこなひ
今日の問題なのだ、それには学問が大切だ、しかし、尚ほ大切なのは行だ、
偉い行と云ふのは、奇抜なことをやれと云ふのではない、お前達に一番手
かう
近にやれるものを教へてやらう、それは孝といふことだ、孝はすべての善
行の基礎となるべきものだ、仁義とか、忠節とか云ふものも、結局はそこ
から出発するものだ、偉い人間だつた人を見るがいい、みんな孝道を守つ
た人ばかりではないか。』
またこんなことも、よく口癖のやうに云つた。
『お前達が偉いものにならうと思ふなら、絶えず偉い人の伝記に親しめ、
下らない小説などは決して読むな、害があつても益はない、そして英雄豪
傑の伝記を読むのであつたら、本気になつて読んで、それに習へ、それが
出来るやうになれば、もうしめたものだ、お前達は偉い人間のお仲間入り
が出来るのだ。』
つ
かうした真実の言葉が、平八郎の口を衝いて出て来る時、塾生一同はま
うち
るで神の言葉を仰ぐやうに、しづかに心の中でいつもかう繰り返すのであ
つた。
『よおし、俺も偉くならう、全世界にその名を轟かすやうな人間にならう、
永遠の大虚だ、永遠の良知だ。』
塾生達の目は、清い光に輝くのであつた。かうした平八郎の大努力は、
塾生ばかりを感化したばかりでなく、凡そ平八郎を知る人は、誰れ一人
としてその識見に頭を下げないものはなかつた。
『中斎先生、中斎先生』と云つて、誰れでも慈父の如くに慕ひ敬つた。
平八郎の著述は、彼の有名な洗心洞剳記の他に、古本大学刮目、儒門空
虚聚語、洗心洞学名学則、増補孝経彙註、洗心洞論学書略などがあつた。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その49
幸田成友
『大塩平八郎』
その71
山田 準
『洗心洞箚記』
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