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跡部山城守は、赴任早早まづ窮民の救助策を講じてみたが、一向成績が
あがらなかつた。それもその筈である。これが一地方の飢饉なら、ちよつ
わた
とした救済策でも役にたつことがあるが、日本全国に渉る大飢饉であるか
ら、到底尋常一様な応急策ではどうにもならない。そんな場合には思ひ切
つた一大救済策を講じなければならなかつたが、姑息な跡部にはそれがで
きなかつた。彼はもう手を拱いて見てゐるより他に方法がなかつた。この
有様を見て憤起したのは平八郎であつた。
『ええ、臓甲斐ない奉行だ、この気の毒な人たちが目に入らないのか、何
をぐずぐず考へ込んでゐるのだ、この一市民の俺でさへ、気の毒な人達を
傍観しては居られないのに、まして奉行が、よし、俺が教へてやらう。』
平八郎は早速明細な意見書を作つて、格之助の手から跡部山城守に差し
出さした。この意見書の内容はまづ次の二つがその重な條項であつた。
一、大阪町奉行の手許に保管中の上納米の一部を徴発して、窮民救済の
応急策に充てること。
二、大阪の富豪たちを説いて、五穀の買ひ占めを厳禁する一方、寄附金
を募つてそれを窮民救済の諸出費に充てること。
かうした意見書を町奉行に差し出した平八郎は、自身もこの場合手を拱
いてゐる時でないと、早速三井、鴻池などの関西第一流の富豪の邸宅へ出
かけて往つて一生懸命説いて聞かせた。
『今にも町奉行から布令が出るだらう、わしは今奉行跡部殿へ献策して来
たところだ、あなた方はいつも大金を儲けてばかりゐらつしやる、だから、
この宏大な屋敷で、こんな幸福な生活をしてゐられるのだ、しかし、この
立派な窓から町の有様を眺めなさるがいい、あれ、あのやうに幾すぢも煙
しがい
の立ちのぼつてゐるのを何と見られる、あれは餓死した町の人人の骸が積
みあげて焼き棄ててゐる煙でありますぞ、あれが見えますかな、いいや見
あ
えないとは云はせませんぞ、彼の人たちはみんなあなた方の兄弟だ、あな
ちりば
た方のこの大邸宅も、金銀を鏤めた調度類も、蔵の中に積んである大金の
山も、元はと云へば、みんな彼の人たちの汗とあぶらでできたものだ、あ
なた方は彼の人たちが恩人だと云ふことを忘れたのではあるまい、こんな
時、応分の寄附をなさい、財物をいさぎよくお投げ出しなさい、それがあ
なた方の世間へ対する大きな義務だ、わしには金がない、しかし、わしは
まごころ からだ
天から授つた真心と体とがある、わしはこの身を町の人たちのために捧げ
るつもりだ、どうかして彼の人たちが、せめて一食にでも有り附けるやう
にと奔走してゐるのだ、わしはこの通り両手をつかへてお願ひする、数千
万の窮民のためだ、どうか彼の気の毒な人達を救つてもらひたい。』
さう云つて、洗心洞の聖者として世に時めく大塩中斎は、商人の前に低
たび
頭して、幾度も幾度も真実な言葉を繰りかへした。
この平八郎の熱誠には、さすがの富豪たちも動かされた。
『おお、さうだ、大塩先生までが寝食を忘れて人のために尽してゐらつし
やる、俺たちも人間だ、及ばずながら寄附をしよう。』
さう云つて、富豪たちは平八郎の申出に賛成して、互に相談の上、寄附
ひそか
金を集めることになつた。平八郎、これを心密に喜ぶ一方、奉行へ献じた
きつさう
意見書の吉左右を待つた。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その90
幸田成友
『大塩平八郎』
その102
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