Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.2.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その20

田中貢太郎(1880-1941)

『大塩平八郎と佐倉宗五郎』
(英傑伝叢書10)子供の日本社  1916 所収

◇禁転載◇

一〇 最後の決心 (1) 管理人註
  

 その年は秋から冬にと、だんだん年が押し迫れば迫る程、その惨状は目 も当てられない有様であつたが、明けて八年正月下旬からの窮状は全く言                         語に絶して来た。正月になつたとて、雑煮餅一切れ食へるものはなく、野 草さへ食ひ尽してしまつた窮民の群は、市中に溢れてゐた。そのうちに飢          は や 饉に加へて悪疫が流行りだした。街頭の死骸は腐れて、臭気が紛紛として ゐるが、誰れ一人それを葬つてやらうとする者はなく、悪疫に倒れた人人 の瀕死の呻き声が、そこらの軒下から漏れて来るといふ有様になつて来た。                            めし  或日のことであつた。平八郎はいつものやうに家族の者と飯を食つてゐ たが、何を考へ出したものか、ほろりと涙をこぼして、下を向いたまま肩 を震はせた。格之助は驚いて。 『父上、どうかなさいましたか。』  と訊ねると、やがて顔をあげた平八郎は、吐息をして云つた。 『ああ、俺は間違つた行ひをしてゐたぞ。』 『何故でございます。』  格之助は目を見張つた。 『何故、さうか、まだお前たちには解らないのか、俺はまたもう感附かれ          はづか てゐるかと思つて、恥しくてならなかつた。』 『それは一体どうしたわけでございます。』 『それか、うむ、俺は今日の窮民救済を他人にばかり説いてゐたのだ、そ の口実は、俺に金がないと云ふ理由であつた、だが、今、ふいと考へ附い たことだが、俺の金がないと云ふ口実は、口実にならないことに気がつい た、見ろ、俺たちはかうして満足に食へるではないか、そればかりか、か うして暖い着物を着て、障子襖の入つた部屋に住んでゐる、勿体ない、勿 体ない、俺はあの意気地のない金持どもを笑へなくなつた、他人のものば かりを当てにして、一切自分のものを投げ出さうとしない俺の軽率、俺は 恥しくてたまらない。』 『しかし、父上、決して私たちの生活は、人並以上ではないと存じます、 冥利に欠けた暮し向きとは思はれません。』 『うむ、さうか、だが、この場合、これさへが贅沢な暮しだとは思はない か。』 『いいえ、父上、しかし。』 『うむ、もうよい、よい、俺は決心した、格之助。』 『は。』 『家財道具を売り払はふ。』 『家財道具。』 『さうだ、鍋と釜を除いた外の道具は、一切この場合贅沢だ、疫病に悩む 者、飢に泣く者のことを考へて見ろ、義理にもこんなものを持つてゐられ                              かうがひ るか、何もかも売つていまはふ、俺たち余分の着物も、女たちの櫛笄も、           ぐら それから、おお、書物庫には書物があつたぞ。』 『では、あの書物まで。』 『さうだ、俺の永年苦心して集めた書物だが、それがあの気の毒な人たち の食ひ代になることが出来るのは仕合せだ、それだけでも俺は惜しいとは 思はないぞ。』 『父上、しかし、書物は学者の生命でございます。』 『馬鹿、書物が何んで学者の生命なのだ、学者の本当の生命はそんなもの ではない、書物に書いてある聖賢の道を、しつかりと体現するところに、 真の学者の生命があるのだ、俺はどうあつても、あれを売り払ふ。』


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その103

幸田成友
『大塩平八郎』
その111


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