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平八郎は、格之助はじめ家族の者が止めるのもきかず、その日沢山の塾
ぐら
生を指揮して、書物庫から数千巻の書籍を運び出させ、一方格之助に云ひ
つけて始終出入の道具屋五郎兵衛を迎ひに遣つた。この有様を見て涙をこ
ぼしたのは、洗心洞三千の塾生たちであつた。
『先生は一体、明日からどうなさるおつもりだらう。』
『先生の慈悲深いお心は世間へ今までによく通つてゐる筈だ、何もこの上
こんなことまでなさらなくとも好ささうなものだが………。』
『一旦お手離しになつたら、もう二度と先生のお手許には戻つては来ない
のに。』
やがて、道具屋は書籍全部を六百五十両で引受けることになつた。その
すべ
他の家財を合して、総てで千両の金子を調達した。平八郎のこの行為に感
激した塾生たちは、各自思ひ思ひに寄附金の申し出をしたので、それを合
ほどこ
せて、一万枚の切手にして、街に群がる窮民に施した。
救助を受けた窮民たちは、平八郎を神のやうに伏し拝んだが、役人や富
つらあて
豪どもは却つて面当のやうに考へて憤慨した。平八郎の身辺はさうした敵
やかま
の放つ流言や非難中傷で喧しかつたが、平八郎は泰然として初志を翻へす
やうなことはなかつた。
い く ぢ
初め平八郎の考へでは、何んぼ頑迷な意気壹のない奉行や富豪でも、一
なら
市民の自分が実行して見せたなら、少しは恥ぢてこれに慣ふだらうと思つ
はづ
てゐた。しかし、その期待は見事に外れてしまつた。今までより一層奉行
ひややか
も富豪も冷な態度をするやうになつた。
『ああ、もう何事も駄目になつた、俺の最後の実行さへ、意気地のない彼
奴等は黙殺してしまつた、もうこのうへの策は、この俺にはなくなつた、
惨忍な彼奴等は、この俺をどこまで苦しめるのだ、よし、このうへは、こ
の平八郎が何をして見せるか覚へて居れ。』
かしら
平八郎は、中塾の自分の室で、頭だつた塾生に囲まれてゐた。塾生たち
も皆歯がみをした。
『先生、先生がいつもお教へ下すつた良知を、こんな時こそ実行しなけれ
ばなりませんぞ。』
『さうだ、さうだ、私たちはどこまでも先生のお力にならう』
えら やしき
『もうかうなつたら手段を択んでは居られません、片つ端から富豪の邸へ
火をつけて、財物を往来のものへ投げ与へてやりませう。』
『待て、富豪ばかりではない、無能な、大義名分を考へない俗吏の奴輩も
血祭にしてしまはふ、どうだ。』
『うむ、それがいい。』
『先生、私たちは飽くまでも先生のお手伝ひをいたします』
かんがへこ
それまで腕を組んでぢつと考込んでゐた平八郎は、その時はじめて口を
開いた。
や
『よし、遣らう、わしは前から最後の手段として、それを考へてゐた、今
こそ時だ、遣らう、何もかも捧げる物のなくなつたわしだ、こんどは、こ
いのち
の生命を窮民たちに投げだすぞ。』
いづ
塾生達は何れも総立ちになつてこれを和した。やがて塾生たちは平八郎
きた
を中央に据へて、秘密会儀を開いた。その結果、天誅の旗上げは来る四月
十日早朝と云ふことに決定した。この日は東照宮の祭日で、城代土井大炊
頭利位、東町奉行跡部山城守良弼、西町奉行堀伊賀守利堅等が建国寺へ参
詣する日である。平八郎等はその日、その場所を不意に襲つて、俗吏の彼
ちうりく
等を天に代つて誅戮しやうといふのであつた。そして、その次の手段は、
富豪の邸へ火を放つて、金銀財物を掠奪して、それを窮民に分け与へてや
ることであつた。
『よし、もう少しの隠忍だぞ。』
『天誅だ。』
『天誅。』
はや おさ
塾生たちは逸る心を制へながら連呼した。それは天保八年二月十八日の
ことであつた。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その103
幸田成友
『大塩平八郎』
その111
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