|
『おう、あれは。』
大塩勢は一斉に武者振ひした。それは奉行跡部山城守の率ひる鉄砲組の
たたかひ
手勢であつた。双方の間に激しい戦が起つた。ところで、この奉行方に、
一人鉄砲の名手として知られてゐた坂本弦之助といふ者がゐたために、大
そ
塩勢はそれがために気勢を殺がれて、旗色が乱れて来た。
いたづら いのち
『もはや戦ひもこれまでだ、徒に生命を棄てては馬鹿馬鹿しい、諸君、一
刻も早く落ち延びてくれ。』
平八郎は早速一同の者に命令した。けれども、一同の者はその言葉を聞
き入れなかつたが、平八郎父子が情理を尽して諭したので、そこではじめ
かしら
て二人三人づつになつて散つてしまつた。だが平八郎父子を初め、頭だつ
とどま くわ
た十余名の者は、そのままそこに踏み止つて奮戦した。けれども鰥は衆の
敵ではない。奉行勢が一時ひるんだ隙に乗じて、散り散りばらばらになつ
て遁走した。
この十余名の一隊はその日の七ツ時(午後四時)、天神橋の東の八軒屋
で再会し、そこから小舟に乗つて、天満附近をあつちこつちと漕ぎ廻つて
ゐたが、一人二人と各所で上陸して、最後の残つた五人、即ち平八郎、格
之助、瀬田済之助、渡部良左衛門、庄司義左衛門は一緒になつて東横堀へ
さまよ
上陸した。そして、五人の者は互ひに離れずに、暫くの間河内路を彷徨う
てゐたが、それではどうも人目につき易いので、またここで別別になつて、
最後は平八郎、格之助の二人きりになつてしまつた。
ふう
そこで、二人は人目を暗ます手段として、頭を剃つて僧侶の容をして隠
いづこ
れ歩いたが、二人にとつては何処も安らかな土地ではなかつた。
もと
『やつぱり大阪がいい灯台下暗しといふ言葉もある、却つてその方が気が
附かないだらう。』
平八郎父子は、さう考へると、即日、危険を冒して大阪へ帰つて来たが、
その所在は誰にも解らなかつた。
|
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その120
幸田成友
『大塩平八郎』
その150
坂本弦之助
鉉之助
が正しい
渡部
渡辺
が正しい
|