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町奉行跡部山城守は、躍気となつて平八郎父子の行衛を捜索したが、ど
うしても解らなかつた。
平八郎父子の人相書は要所要所へ廻された。
大塩平八郎
一、年齢四十五六歳位
一、面長にて色白き方
さかやき
一、額開き月代青き方
一、眼は細き方
一 眉毛細く薄き方
一、耳、鼻、普通
一、中肉中背
さはや
一、言語爽かにて鋭き方
(其節の着用は、鍬形に黒い陣羽織、其他は不詳)
大塩格之助
一、年齢二十七歳位
一、顔短く色黒き方
一、眉毛厚き方
一、前上歯二枚なし
一、眼、鼻、普通
一、背低き方
一 言語極めて静かなる方
(其節の着用は一切不詳)
こんなふうで、平八郎父子の行衛捜索は、厳重のうへにも厳重であつた。
けれども二人の所在は突き止められなかつた。二人は一体何処に居るのだ
らうか、遠く何処かへ逃げ延びてしまつたものだらうか。ところが平八郎
よろづ
父子は、大阪靭油掛町の万染物店見吉屋五郎兵衛の土蔵の中に隠れて、再
挙をはかつてゐるところであつた。
この見吉屋五郎兵衛とはどう云ふ人かと云ふと、平八郎の妻の姉の嫁入
先と云ふ間柄であつたから、謂はば切つても切れない姻戚であつた。それ
にこの五郎兵衛といふ男は町人に似合はない侠気のある男で、こんどの旗
もち
あげの節用ゐた旗さしもの一切は、この五郎兵衛が作つて、平八郎に寄附
したものだと云はれてゐた。かうした屈強の場所に隠れて居るので、平八
郎の所在は五郎兵衛夫婦二人以外には誰一人として知るものはなかつた。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その120
幸田成友
『大塩平八郎』
その159
「御触」(乱発生後)
その2
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