Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.8.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 伝』 その120

石崎東国著(酉之允 〜1931)

大鐙閣 1920

◇禁転載◇


収録にあたって、適宜改行しています。
また、明らかに誤植と思われるものは訂正しています。

   天保八年丁酉先生四十五歳 (27)

既ニシテ跡部城州先手ノ兵ノ堺筋ニ現ハルゝヤ、塩軍ノ前衛先ヅ砲火ヲ開テ之ト相対ス時ニ其距離凡ソ一町斗リ、城兵又乱射之ニ応戦ス、時ニ塩軍ノ勇 士庄司義左衛門、梅田源右衛門等大炮ヲ放テ能ク戦フ、轟然既ニ三発ヲ送ルニ及ンデ城兵漸ク乱ル塩軍更ニ一発ヲ放テ勝ニ乗ジテ之ヲ蹂躙セント欲ス、 而シテ四発目未ダ放ツニ及バズ、城兵中阪本鉉之助本多為助等味方ノ危キヲ見テ列ヲ離テ近ク進ミ左右並デ十匁筒ヲ源右衛門ニ擬ス、塩軍炮手金助即チ左側民家ノ用水桶ニ身ヲ隠シ却テ銃ヲ装メ鉉之助ニ向フ、為助早ク之ヲ知リ鉉之助ニ注意スレドモ通ゼズ、為助因テ自ラ用水桶ノ陰ニ金助ヲ狙撃ス、同時ニ金助ノ銃丸来テ鉉之助ノ陣笠ヲ貫ク、

梅田源右衛
門倒ル
此ノ瞬間鉉之助ノ擬スル所一発覘違ハズ源右衛門ヲ射テ左脇ニ中リ右肩ヲ貫ク、源右衛門遂ニ斃ル 而シテ金助ノ丸鉉之助ヲ斃スヲ得ズ。
萠黄真田ノ
相印
    咬菜秘記云 が打留たる梅田源右衛門は彦根の藩より出たるものゝ由、二十三五歳位にて余程丈夫なる大兵にて、死体改見れば黒羽二重の紋付に、八丈島の下着を着し皆紅裏の小袖にて、おちよぼからげにして黒羅紗の羽織を着し、股引もせず、萠黄真田のたすきを掛け 是は跡て聞き候に徒党のものゝ相印にて巾広き萠黄真田のたすき悉く掛けたりとぞ 素足に草鞋をして、大小も相応の拵の様にありたり、初め梅田は西の端に百目玉筒の車台に取付き居るを見たりしが、其節梅田と顔を見合せしも、源右衛門は夫までが覘ひ寄るを更に存ぜず、始て顔を見合せ実に驚き入たる顔色にて俄に致方もなかりし哉、何の所作も出ぬ内に即時に打倒したり、其場所は十間斗りと存す。

    青天霹靂云 阪本鉉之助ハ大阪ノ砲術指範役ナリ、是役ヤ鉉之助以為ラク梅田源右衛門ヲ撃タバ余ハ恐ルゝニ足ラズト、煙焔蔽塞スルニ乗ジ、小銃ヲ持シテ街頭ノ檐溜ニ沿ヒ、眇視禹歩シテ徐ニ進ム、源右衛門ノ従者疾ク之 371 ヲ瞥見シテ亦銃ヲ取テ之ニ擬ス、本多為助ト云フ者アリ、其状危ヲ見テ両声叫テ鉉之助ニ報ズ、鉉之助顧ミズ、為助愈危ミ、銃ヲ挙テ源右衛門ノ従者ヲ狙ヘバ、則チ鉉之助ノ丸已ニ源右衛門ニ中テ、源右衛門従者ノ丸亦鉉之助ノ笠ニ中テ止ム、鉉之助銃ヲ発シテ急ニ身ヲ地ニ附ス、故ヲ以テ免ル、為助ノ丸中ラズ、於是平八郎ノ衆大ニ潰ユ。


坂本鉉之助「咬菜秘記」その12


石崎東国「大塩平八郎伝」目次・その2その2(年譜)
その119その121

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