Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.2.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その31

田中貢太郎(1880-1941)

『大塩平八郎と佐倉宗五郎』
(英傑伝叢書10)子供の日本社  1916 所収

◇禁転載◇

十三 悲壮な最後 (2) 管理人註
  

          うち  平八郎父子は不安な中にも、兎に角そこではしづかに眠れるだけでも幸 福であつた。けれども、何んとしても一日中その狭い土蔵の奥から一歩も 出られないのが窮屈で溜らなかつた。二人はそこで暫くの間忘れてゐた妻 子のことを思ひ出した。殊に格之助には、今年生れたばかりの長男文之助 があつたが、二人は大事を実行することに決心した日、それ妻子を親戚に 預けて置いたのであつた。 『今比は文之助はどうしてゐるだらう。』  我が子の無邪気な笑顔を思ひ浮べた格之助は、世の中が急に恋しくなつ た。 『父上。』 『何んだ、格之助。』 『浮世が恋しくなりました。』 『馬鹿、お尋ね物の身で、そんな望みが遂げられると思ふか』 『でも、父上、天地は春でございます。』 『おお、春だつたな、早いものだ。』 『父上。』 『何んだと云ふに。』 『たつた一と目でいい、あの文之助の笑顔が見たうございます。』     め   め め 『馬鹿奴、女女しいことを云ふな、そんな柔弱な心で再挙が出来ると思ふ か、もつとしつかりしろ、俺たちの仕事は見事に失敗したが、決して無駄 ではなかつたぞ、喜べ、喜べ。』 『はい。』  二人は互ひにさびしく笑ひあつた。いつの間にか、季節は桜の花も散つ て晩春になつてゐた。三月二十六日のことである。見吉屋の女中おみねと      あるひ                       ゐろりばた 云ふのが、一日暇を貰つて平野在の親許へ見舞ひに往つた。その夜爐端に 夕飯後集つた近所の者が、他愛ない世間話しをはじめた。ところが時節柄 話は自然と米の高い話に落ちて往つた。 『どうだ、この頃の酷いことは。』 『まつたく、これぢや今年も去年より酷いぞ。』 『かうなると米一升と小判一升ぢや。』                               ばち 『違ひない、もうこの節は米一粒だつて無駄には出来ない、どんな罰が当 るか知れたものぢやないぞ。』 『全くだよ、三井か鴻池ぐらひの身代でなけれや、とても白い飯は口へ入 るものでないぞ。』 『や、全く、此の節ぢや何んだらう、いかに広い大阪でも、白い飯を食つ               うち てゐられるのは、まづその辺の家だけだらうよ。』



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その122

幸田成友
『大塩平八郎』
その159


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