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そば
人人はそんなことを他愛もなく云ひ合つてゐた。その時、傍でみんなの
話を聞いてゐたおみねが突然な頓狂な声をあげた。
うち
『さう、さう、そのお米で思ひだしたが、私のゐる家に不思議なことがあ
りますよ。』
『どんなことだ、おみね。』
おみねのの父親が不審さうに顔をあげた。
『どんなことつて、私はこんな不思議なことを見るのは初めてだよ。』
『だから、どんなことかつて、聞いてるぢやないか。』
『お父つつあん、お稲荷さまは御飯を食べるかね。』
『何んだ、稲荷さまが飯を食ふかつて。』
おみねの父親が目を丸くしてさう云ふと、みんなが一斉に笑ひだした。
『そんな馬鹿なことがあるものか、稲荷さまは稲荷大明神と云つて神様だ、
神様が飯をむしやむしや食つて溜るものか。』
『でも、それが食べてるんですもの。』
ばけもの
『何処にそんな稲荷さまがあるものか、化物ぢやあるまいし。』
『いいえ、でも、現に私の主人の家のお蔵の中のお稲荷さまは食べますよ、
それもどつさり食べます』
おみねが単純にしやべり立てるのを、
『一寸待て。』
さへぎ
と云つて、突然遮つたのは、おみねの父親であつた。
『それは可笑しな話だぞ、おみね、もつとくはしく話して見ろ、何がどう
したつて。』
『私の主人の家は、それ程お金持でもないに、御飯だけはどうしたのか、
驚くほど多く炊きますよ、そればかりか、日に三度三度必ず蔵の奥のお稲
から
荷さんにお供へに往きます、ところが、不思議にその御飯が空になつて居
りますもの、やつぱりお稲荷さんは御飯をたべると思ひますよ。』
おみねの父親は何思つたのか、目を光らせた。
『たしかに、これやあ聞き捨てにならない話だぞ。』
彼れはさう云つて起ち上がつた。おみねの父親は時節柄大塩平八郎の詮
議が厳しいので、平野在の陣屋へそのことを届けた。陣屋は即日それを奉
行へ上申した。奉行跡部山城守は早速部下にその糾明方を命じた。
その翌日、見吉屋五郎兵衛夫妻は突然奉行所へ引立てられた。
かくま
『これや、その方は大塩平八郎を匿つてゐるだらう。』
と奉行が図星を指したが、五郎兵衛夫妻は、
『一向そんなことは存じませぬ。』
じつ
と云つて、どうしても実を吐かなかつた。そこで、奉行山城守は怒つて
二人を拷問攻めにした。男の五郎兵衛は耐へられたが、彼の妻はさすがに
これが耐へ切れず、遂にすべてを白状してしまつた。
『それ、一刻も猶予するな、大塩親子を召取れ。』
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その122
幸田成友
『大塩平八郎』
その159
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