Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.2.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その29

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    二九 与力としての大塩平八郎(二)

大塩の決 意 奉行内藤 隼人正を 訪ふ 身代限を 不可とす る理由 御為筋に は一命を 抛たん 隼人正の 感動 大塩気象 坂本鉉之 助所記 鉉之助の 大塩賞賛 大塩の面目

前掲の如く、大塩平八郎は、水野出羽守から、願の通り身代限を申し渡す 可しとの沙汰を聞き、その幕府の措置が、余りに薄恩であるを見、茲に身 を挺して、之を止むるの方策を廻らした。以下は即ちそれに就て、彼が自 から語る所だ。   夫を承り、直に早天に西奉行内藤隼人正へ参り、内々直に申上度事有   之候間、御逢被下候様にと申込候へ共、支配違之組与故(大塩は東組   与力にして、当時目安改にて吟味役であつた)一応にては逢も無之を、                    さて   強て申込み逢候て、内藤殿へ申候は、偖私頭仕高井山城守にて御座候   へ共、是は漸く此頃被来、未其気質をも存不申、御前には先年当地御   目付を御勤にて御登りの節より、御継母様に殊之外御孝心之由を、兼   て承はり居候。忠臣は孝子の門に出づと申語も有之故、今日公義御為   筋之義を申上度候得共、甚無束敷事にて、容易に難参候。其仔細は今   度江戸表御下知相済候切金一條に御座候。御裁許を相もどき候事にて、   不通事には候へ共、先代御用金を差出候ものゝ子孫へ、身代限被仰付、   家名をも断絶為致候義は、甚以不可然、其仔細は公義御用金を差出候   も、皆子孫の事を存候て家の為、子孫の為にも可相成と存候。大切至   極に存ずる宝を差出候。然る処如何に当人に願なればとて、家名及断   絶候身代限を、上より被仰付候ては、此後大坂に御用金被仰付候節、   豪富ども何れも難渋申立、蜂を払候様にいやがり可申。浪華は実に公   辺の御金箱とも可申所に候得共、何れも難有心服仕候て、御用金を差   出候様に無之候ては、御為不可然。若御前御在勤中抔に、御用金之御   沙汰有之候はゞ、何を以て市民共を御諭し被成候哉。此義を有候へば、   此度之御下知は、御為に甚不宜奉存候。   私儀は与力之身分にて、下賤之者故、上(将軍)之御容貌を奉拝候事   も出来ぬ身の上に候得共、御為筋之義には、一命抛ても相働き申度奉   存候。御前は別而是迄数年御昵近を御勤被成、日々朝暮御側に被為在   候事に候へば、此平八郎よりは、一入御為大切に可思召候。斯く下賤   之平八郎すら、御為を存じ、此度一條御裁許をもどき候罪不埒と有之   節は、唯今即座に切腹にても可仕と覚悟仕て、申上候事に付、何卒篤   と御勘弁被成下、万一御裁許をもどき候御咎参候へば、此の平八郎一   人其科を請、即座に切腹仕、外々様へは其科を掛申間敷と申述候へば、   隼人正も、はら\/と落涙被致、申所逸々尤至極に候。左候へば無程   山城守へも会合之上、可及相談、其上何とか取計可申、其方も頭を差   置、先に此方へ申聞候とあつては、山城守存意も如何に候間、此方は   不承姿にて、可罷在候間、是より早々山城守方へ参り、右趣山城守へ   可申述。左候へば後刻山城守より相談可有之候間、其節程宜く可取計、   今日身代限申渡之義は、何れ延引可致旨被申。再応江戸伺之取調と相   成、昨今老輩の者、両三人被申付、俄に必至に成取調候旨話なり。   [咬菜秘記] 如何にも之を見て、大塩其人が、苟も自から信ずる所あれば、身を挺して、                     勇往邁進し、之を徹底的に成し遂げんずば息まざる気象が、あり\/と知 らるる。                        ちか 尚ほ坂本鉉之助の所記は、比較的公平を得たるに庶幾き様だ。彼の所記に よれば、彼は大塩槍術の師柴田勘兵衛に導かれて、文政四年四月の頃、始 めて大塩を訪問した。即ち前記の大塩談話は、其際の事であつた。爾来彼 は一人にて大塩を訪ひ、武備志などを借覧したが、大塩が漸次盛に用ひら            わざ れ、役用繁多なる為め、態と遠慮して訪問しなかつた。其後八年、刀剣一 覧の為め、同好者と大塩を訪うた。   以後は一年の内、三両度も面会の事も有之、又は絶て面会不致年も有   之候。人の噂にては、殊之外短慮暴怒も有之やうに申候へども、貞   (坂本)などが接眉の容体にては、人の申様にも見請不申、至極礼節   等は正しく、万端の話も至極面白く、其度に益を得ること多く、文武   とも貞等より遥に優りし人と思ひし。歳は貞より二つ劣り候。如何様   妄に政道を是非する僻は有之候得共、貞等が身には至極益ありと存候。 政道を是非するは、大塩本来の面目であつた。此れが遂ひに他日の直接行 動を激成したのだ。

   
 


坂本鉉之助「咬菜秘記」その2


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