Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.2.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その28

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

第六章 与力時代の大塩
    二八 与力としての大塩平八郎(一)

海賊三十 余人を捕 ふ 其の廉直 贈遺を斥 く 高井実徳 大阪町奉 行となる 大阪富商 某の身代 限処分事 件 富商の身 代限り願 水野忠成 意見 水野の命 を翻さん とす

彼が最初の手柄として、人に知られたのは、文化八年、十九歳の時、定町 廻役に勤仕中、海賊三十余人を捕へたことだ。伝説によれば、当時大阪市 中、盗難多く人心恟々、両組の与力同心、徒らに奔命に労するのみであつ た。時に彼火防町廻役であつたが、未だ本役でなく、職司至て軽かつた。 然も彼は責任観念極めて強く、身を挺して、其憂を除かんとし、遂ひに此 れが海賊の所業であることを偵知し、有馬家留守居神道某と称する者を捕 へた。此者実は妙見剛右衛門、又た一に親船覚右衛門と云ふ海賊の巨頭で あつた。彼等は多年瀬戸内海にありて、掠奪を逞くしたが、近頃捜査厳な る為め、般を商舶に擬装し、近海に漂泊し、市中を荒らした。船中余党三 十幾人、何れも縛に就き、市中も始めて安堵した。此に於て大塩平八郎の 名は、大阪市民の間に聞え出した。〔大塩後素記事〕 彼が常供―与力同心公用派出の際、随従して賤役を取るもの―の傘工某が        にく 高利貸を倣すを嫉んで、自から百両の金を借り、其の督促を待つて、之を 懲戒したる話や、紀州、岸和田二藩の境界争議に就て、岸和田藩を勝訴た らしめたる事や、若しくは滞獄を決するの際、暮夜原告より贈りたる菓子 函を、翌朝庁に上り、同僚の面前に開らき、其の中より黄白を出し、諸君 之を好む、是れ訴訟久しく決せざる所以なりと云うたとの説の如き、果し て信ず可き乎、否乎を詳にしない。されど彼が既定の収入以外、濫りに他 の贈遺を受けざる一事は、左の一書によりても分明だ。   此肴を、播磨屋利八と申ものより、此方留守中持参さし置帰候。不埒   之事に候へ共不弁故之儀と被推候間、丁内へさし戻し遣候。今後心得   違無之様申渡し置可申、此度者内分にて、右様取計遣し候事。      大塩平八郎        御地通四丁目年寄へ 此れは年月日なければ、何時と云ふことは分らぬが、然も彼が廉吏であつ たことは、之を見ても、知るに余りありだ。 彼の名は歳月と共に、漸く高く、彼の門人も漸次に多くなるの際、文政三 年十一月十五日、彼歳二十八の時に於て、偶然にも其の知己たる可き、高 井山城守実徳、山田町奉行より大阪東町奉行に転任し来つた。高井は六十 余の老人にて、其の栄進は頗る晩れたが、人物は温厚忠良にして、君子風                             ふる であり、人を鑑るの識ありて、能く大塩を抜擢して、其の全力を揮はしめ た。 当時彼は目安改吟味役であり、偶ま天満市中の富商其の身代限処分事件が あつた。彼が此の事件に対し、如何に身を挺して、其の所志を達したるか は、左記の文を読めば、自から分明だ。   貞(玉造口与力坂本鉉之助名俊貞)が初めて大塩へ柴田(勘兵衛)と   同道にて参候処(文政四年四月頃、大塩二十九歳の時)座に付て、未   だ時候の挨拶も済まぬ先に、今日は能く御出被下、殊に寄ると私も切   腹を致して、今日は御目に懸れぬ所にて、仕合に切腹にも不及、御来   訪を相待候と申口上也。勘兵衛も貞も驚入、夫は如何様の仔細に候哉   と尋候処、平八郎申には、天満市中の町人某と申者、身代衰微致、外   より貸銀滞之目安を付られ、此者家は先代相当の富商にて、公義へ御   用金を差出候家に候へば、借財返済方御定御切金に被仰付候筈之処、   此者願には近来殊之外、不仕合にて、難渋仕、借財夥敷相嵩み候。此   度之訴訟仮令切金に被仰付被下候共、此口相済候はゞ、忽又訴訟仕り   候借財之口又も有之、追々及訴訟候上は、悉く切金に被仰付被下候て   も、其切金丈けの員数迚も返弁仕候義出来不申候間、此後度々御苦労   罷成候半よりは、何卒此度先訴之者へ身代限を被仰付被下候様にと願   出候に付、其趣江戸表へ伺に相成候処、出羽守殿(水野忠威)差図は、   先代御用金をも差出候者之子孫、右様及難渋候段、不便之事に候得者、   右用金御下げ被下候て宜敷候へ共、其者一人にも限不申、左様の口追々   候ては、当時悉く御下げ金と申御都合にも相成兼候間、乍不便願之通   身代限りと可申渡、御下知有之候。〔坂本鉉之助著 咬菜秘記〕 大塩平八郎は、乃ち当時威権赫々たる、幕府の閣老水野出羽守の下知を翻 へさんとして、其身を挺して、奔走したのだ。

   
 


坂本鉉之助「咬菜秘記」その2
幸田成友『大塩平八郎』その15


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