Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.3.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その34

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    三四 大塩の辞職

辞職表面 の理由 其の内実 の理由 山陽の観 察 山陽大塩 を戒む 勇退の真 因 大塩講学 授徒の始 洗心洞学 堂の始

大塩平八郎は、天保元年七月、三十八歳にして辞職した。此れが彼に取 りて円満辞職であつた乎、否乎は問題であつたが、表向の理由は、其の 長官大阪東町奉行高井山城守と、進退を与にすると云ふことであつた。   昨夜閑窓夢始辞。今朝心地似僊家。誰知未乏素交者。   叫秋菊東籬潔白花。 此れが彼の招隠の詩だ。 彼が辞職の理由に就ては、彼は彼の同僚其他が、彼の声望を嫉み、彼の 勇往果為が、衆人の怨府となりたる為めと云ひ。或は大塩の偶然乗りた る輿夫が、其の大塩たるを知らず、世間噂さとして、大塩様も、今が退 き時であらうと語りたるに、感じたるが為めと云ひ、種々の説がある。 但だ彼の友人頼山陽が、彼の名古屋宗家を訪ふを迭るの序文中の一節、 能く其の事情を曲尽してゐる様だ。   ことし   今茲(天保元年)七月、高井君老を告げ代を請ふ。子起(大塩作つ           なん                つと   て曰く、君退く吾烏ぞ敢て独り進まむ、遂に意を決し、力めて退く   を請うて允を得たり。聞く者驚愕せざる莫し。野人に頼襄有り、独   り曰く、子起固より当さに然るべし、然るに非らずんば、以て子起                       みるゐ   と為すに足らず。吾は彼其心壮にして而して身贏、才通じて而して   志价、功名富貴を喜ぶ者に非らず。喜ぶ所は間に処し書を読むに在   ることを知る。吾嘗て其の精明を過用し、鋭進折れ易きを戒しむ。   子起深く之を納る矣。而して已むを得ずして起つ、国家の為めに奮                               きふぞく   うて身を顧みざる而已。然らずんば安んぞ能く壮強の年、衆望翕属   の時に方りて、権勢を奪ひ去り、毫も顧恋無らん哉。唯だ然り、故                  かせき  はうしよ べんたつ   に甞て其の任用に当りて、請託を呵斥し、苞苴を鞭韃擬し、凛然と   して之を望む者をして、寒氷烈日の如くなら使め、以て此効を成す       のみ   を得たる爾。故に子起を観る、其敏に於てせずして、而して其廉に   於てし、其の精勤に於てせずして、其の勇退に於てす、聴く者以て   然りと為す。 要するに大塩の身辺は、其の長官高井と進退を与にせねばならぬ必要の 事情が、存在したるに相違あるまい。山陽は其処までは突き込んで明言 せざるも、其の『精明を過用し、鋭進折れ易きを戒め』たる一句を味へ ば、余意文字の外にあることが判知る。大塩も決して無暗に進退する漢 ではない。彼の勇退には、必らず其の理由が存在したるに相違あるまい。 而して其の理由は、実に頼山陽の所言に徴して、之を察するに難くある まい。 然も大塩は隠居して、決して水辺林下の閑人となるではなかつた。彼は 一方では獄吏であり、他方では道学先生であつた。彼が講学授徒は、何 年頃から始つた乎、そは分明でないが、二十歳前後から既に若干の門人 はあつた様だ。   按ずるに先生の開塾は、年紀明かならざれども、是より先き文化八   九年に、橋本忠兵衛名貞字含章同十一二年に、竹上万太郎弓奉行組   同心等の門人となりしは、評定所文書に記する所にして、次で白井   孝右衛門名履字尚賢庄司義左衛門東組同心等来り学び、吉見九郎右衛   門、渡辺良左衛門の従学を見たる等、文化十三四年、早く既に門人   数十人ありしを知るべし。〔中斎大塩先生年譜〕 而して所謂る洗心洞学堂は、文化十四年彼が二十五歳の頃より始まつた 様だ。尚ほ文政十年閏六月十五日、彼三十五歳の時、頼山陽京都より来 り、彼を訪ひ、其壁に留め題したる詩は、能く当時の模様を知るに足る ものがある。    訪大塩子起、謝客而上衙、作此贈之丁亥閏六月十五日訪                           頼 襄   上衙治盗賊。帰家督生徒。獰卒候門取裁决。家中不約鬻獄銭。   唯有々万巻書。自恨不暇仔細読。五更已起理案牘。   知君学推王文成。方寸良知自昭霊。八面応鼓有余勇。   号君当呼小陽明。吾来侵晨及未出。交談未半戒鞭韃。   留我恣抽満架帙。坐聞蝉声在簷。巧労拙逸不足異。   但恐折傷利器。祈君善刀時蔵之。留詩在壁君且見。         此れが彼が在職中の事だ。されば彼は其の職を抛つて、決して無事に苦 しむ憂は無かつた。

   
 


幸田成友『大塩平八郎』その49その173


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