Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.3.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その36

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    三六 大塩の教育法

読書要目 大塩の鞭 恵養周至 恩恵綢繆 是皆反対 者の言 気魄人を 圧す 身を以て 門生を率 ゆ 大塩心事

彼が塾生に課する読書の要目は、左の通りであつた。  孝経 増補孝経彙註並鄭註本  古本大学 序解  中庸 朱証  論語 朱註  孟子 朱証   右一経四書  易 程伝 書 蔡氏集伝  詩 呂氏読詩記並朱子集伝  礼記 陳氏集伝並三礼義疏  春秋 三伝 周官  儀礼  三礼義疏   右七経三伝  伝習録 朱子小学  四名公語録 近思録  陽明子集類 王門諸子書類  程朱書類 有口訣  歴代理学名賢書類 有口訣   右理学  二十一史 通鑑綱目  読史管見 名臣言行録 各有口訣   右史頬  八大家文集之類 杜詩及十五家詩選之類   右詩文 以上が洗心洞の学則だ。 彼が入学盟誓に掲げたる如く、苛も之を犯す者には鞭若干を与へた。 それは決して空文でなく、実際であつた。彼の門人吉見九郎右衛門が、大 塩の事を拳ぐるに先んじ、密訴したる文中に、   元来平八郎儀、気分高く、剛陽勝候性質に付、平生門人教方厳敷、長   幼之無差別、折々大杖に而打擲いたし候得共、意念之不正を懲候付、   過悪を改善に遷候様相成、師弟之交、誠実を尽候付、皆恩に感じ、恭   敬厚くいたし候故、申聞候儀了簡に違候儀有之候而も、一言之論談い   たし候ものも無之。〔吉見九郎右衛門密訴〕            ふたつ とある通り、彼の恩威は両ながら門人に徹底してゐた。古賀菴曰く、   後素の門生を教督するや、其の厳峻を極む。平生軽しく門を出るを許   さず。少しく惰容有れば譴責立ろに加はる。故に弟子座に在る粛々如   也。一日経を談ず、聴く者津を以て指に点して而して経を翻へす。後      とが    いくば   素之を尤む。未だ幾くならずして復た然り。後素大いに怒り、之を叱   して曰く、放心此の如し、何を以て学を為さむと。然れども弟子を恵             るひん      すなは   養する殊に周至。間ま窶貧者有れば、輙ち己が財を散じて以て之を賑            とむもの   済す。又た諸弟子の饒者をして乏しき者を周恤せしむ。故に其塾に入   り、諸の弟子を観るに、挙皆な衣服楚々、一人の藍縷困瘁の者無し。   〔学迷雑録藁〕 又た曰く、   後素及門の士に於ける、恩恵綢繆父子の如し。加人松本保次郎、後素   入室の弟子と為る。数年前疾亡、後素悼惜甚だ殷、門生輩厚く之を葬   る、財給せず、後素に請ふて五金を資す、後素立ろに十金を出して之   を予ふ。而して之れが為めに心喪十日。後素旁ら刀圭(医術)を解す、                しつちん かゝ  みづか   家塾中常に薬籠を置く、門生疾病火に嬰る、親ら指剤して以て之を治む。   〔同上〕 前の一項は、裏切者の密訴であり、後の二項は、彼の反対者の所言だ。而 して両者期せずして此の如し。亦た以て如何に、彼が門人を遇する、尋常 一様の先生と、撰を殊にするを知る可しであらう。   朝は常に八ツに起きて天象を観、門人を召して講論す。冬日と雖も、   戸を開いて坐す、門人皆堪へず。而も中斎は依然として意と為さず。   その気魄の人を圧する、門人敢て仰ぎ視ず。その家にあるや、賓客の   来ること虚日なく、又た自から立ちて門人に武技を教ふ、終日多事な   り、而して其の読書該博なること此の如し。抑も又た怪しむべきなり。   〔池田草庵聞書〕 彼は実に身を以て其の門生を率ゐた。而して其の門生に文武の道を教ふる や、月並的の講釈や、演習でなく、皆な活問題を捉へ来りて、彼等の自得 を促がした。   吾既に職を辞して而して隠を甘んず。険を脱して而して安きに就く。                宜しく高臥して労苦を舎て、以て自性を楽しむべし。然も夙とに興き、   夜は寝ね、経籍を研き、生徒に授くる者は何ぞや。此れ好事ならず、              つく   是れ糊口ならず、詩文を為らず、博識を為さず、又た大いに声誉を求   むるを欲せず、再び世に用らるゝを欲せず、只だ学んで而して厭はず、     をし   人を誨へて倦まざるの陳迹を粉得するのみ。世人怪しむ莫れ、又た罪   する莫れ。鳴呼心太虚に蹄帰するの願ひ、則ち誰か之を知る乎、我独   り自から焉れを知る耳。〔洗心洞箚記〕 是れ彼が天保二年、辞職の翌年、自から記する所、而して彼の著述古本大 学刮目、及び洗心洞箚記は、実に此の間に成つた。

   
 


幸田成友『大塩平八郎』その73その190


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