Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.3.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『近世日本国民史 文政天保時代』

その37

徳富猪一郎(1863-1957)著 民友社 1935

◇禁転載◇

    三七 大塩の学説

学説綱要 大塩太虚 説 是一種の 唯心説 大塩の大 欠点 洗心洞箚 記の重要 視 足代弘訓 との関係 大塩の息

大塩が学問上畢生の受用は、悉く洗心洞箚記に掲げてゐる。而して彼の所 謂る学説の綱要とも云ふ可きは、其の序文に掲げてある。              かな   先生学を論ずる、人情に協はぎる者五焉。一に曰く太虚。二に曰く良   知を致す。三に曰く気質を変化す。四に曰く死生を一にす。五に曰く   虚偽を去る。夫れ太虚は釈老に似たり。良知を致す、朱学に敵す、気   質を変化す、客気勝心者の難しとする所、死生を一にするは、凡庸怯   惰輩の忌む所、而して虚偽は則ち中人已下、無始の妄縁、其の血肉の     ざんわ     すくな         にく   間に和せざる者鮮し矣。故に一として其意に逆はぎるはなし、世の                     こたへ   悪みを免れんと欲するも得ん乎。……余対へて曰く、誠に然り、誠に   然り。而して子等此の五者を以て先賢の成語と為す乎、又た我の創説   と謂ふ乎。我の創設則ち宜しく後慮有るべき也。先賢の成語、而して            のみ   吾特に之を発揮する焉耳。則ち又た何んぞ患ふるに足らん哉。   〔洗心洞箚記自述〕 而して此の五者の中に於ても、彼が、尤も得意としたるは、太虚説だ。   躯殻外の虚は、便ち是れ天也。天は吾心也。心は万有を葆含す。是に   於て焉悟る可し矣。故に血気有る者、草木瓦石に至るまで、其の死を      さいせつ   視、其摧折を視、其の毀壊を視る、則ち吾心を感傷せしむ。本と心中   の物たる故也。若し先づ慾有りて而して心を塞ぐ、則ち心虚に非ず。   虚に非らざれば、則ち頑然たる一小物、而して天体に非らざる也。便   ち骨肉と与に既に分隔し了る、何んぞ況んや其他を耶。之を名くるに   小人を以てす、亦た理ならず乎。 彼の太虚説は、要する一種の唯心説のみ。彼が書翰と共に、其の箚記を佐 藤一斎に贈り、其の意見を求めたるに際し、一斎が答へたる書中に、   就中太虚之説、御自得致敬服候。拙も兼々霊光の体、即太虚と心得候   処、自己にて太虚と覚、其実、意必固我之私を免れず。認賊為子之様   に相成、難認事と存候。貴君精々此所御著力被成候へば、即御得力爰   に可有之と存候。尚も実際に御工夫被著かしと祈入事に御座候。 流石に老功なる一斎は、大塩の弱点を見抜き、茲に頂門の一針を下してゐ る。所謂る『自己にて太虚と覚、其実、意必固我之私を免れず』の一句は、 恐らく大塩が遂ひに自覚し得ざる大欠点であつたらう。彼は天地と一体の 積りであるが、其実天地を、彼と一体ならしめんとしたる者であつたらう。 而して茲に所謂る『天満流の我儘学問』が、其の根を張り、其幹を長じた ることゝなつたであらう。 彼が如何に洗心洞箚記を、重要成したるかは、其の刊行の歳―天保四年―                 七月、一本を伊勢朝熊嶽の絶頂に燔き、以て天照太神に告げ、一本を富士 嶽の石室に蔵め、以て後の学者を俟たんとしたるを見ても判知る。彼は天                             さんてん 保四年七月十日、大阪を発し、駿河に赴き、其の十七日に富士山巓に上り                 げうげつてうとん て、其の志を遂げ、山上に一宿し、暁月朝暾を同時に拝して、太虚の二首 を得た。   口吐太虚容世界。太虚入口又成心。心与太虚本一物。人能存道唯今乎。   千年雪映千年月。况復紅輪未暁昇。下界祇今猶夢寐。枕頭暗暗五更灯。 帰途伊勢山田に至り、御師足代弘訓の家に寓す。而して告ぐるに朝嶽燔書 の事を以てしたが、弘訓は彼に勧むるに神宮に附属する宮崎、林崎両文庫 に献納するの、却つて善きを以てし、彼も之に従うた。尚ほ評定書の吟味 書によれば、   弘訓は天保四年出坂の砌知己となり、同六年中斎(大塩)来勢の節、   天竺には釈迦、漢土には孔子あれども、日本には未だ聖人なし。某   兼々修学発悟いたし、近々聖人と為るべき所 存なるにより、心力を   注いで作つた箚記を、朝熊岳に焼捨てくれよ、然らば其烟天に通じ、   愈よ聖人と為るべしとの話を聞き、奇怪の申分、発狂したのでは無い   かと思ひ、其後は往復も打絶へ云々。 とある。此れは大塩事件以後の申開きにて、固より事実其儘ではあるまじ く、特に朝熊山燔書云々は、天保四年の事にて、年時も相違してゐる。然 も此の言によりて、如何に大塩の鼻息が荒らかつたことが想ひやらるゝ。

   
 


『洗心洞箚記』 (抄)その14


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