Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.17

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「浮世の有様 巻之一」

◇禁転載◇

文政十二年切支丹始末 その5

 





 高見屋平蔵

上町松山町住居。此者元来播州にて、禅僧にて、一箇寺の住持なりしが、檀家の後家と姦婬し、不埒の事をなして、大坂に出で来り、北野寒山寺は親しき間なるゆへ、是に頼り、同寺より出をなし貰ひて、北野に家を借り、夫より松山町へ変宅し、軍書の講釈師となりて世渡りせしが、軍記弟子となり、邪法を伝受し、先年軍記長崎へ行きし留守中に、妻子を預りせ話せし事などありといふ。

或時新町とやらにて遊びしが、興に乗じ、

「我面白き事なして見すべし」とて、種々のあやしき手妻をなして見せしかば、奇妙なりとて、之よりして奇妙と唱へらるゝにぞ、己が軍書講ぜる方にては、北山喜内と名告(なの)りしを、終に奇妙と改めしとなり。

其手妻にて御不審を蒙りし折節、切支丹の事顕れ召捕へられしとなり。以上船尾七兵衛が咄せるを記す。

十二月五日、貢と共に引廻しにて磔となりしが、道筋も大にしをたれ、場所に於て馬より下されしに、少も足腰立たず、面色土の如くなりしが、槍にて一本突かるゝや否や、面も腹も大に悩乱し、小便たれちらし、甚だ見苦しき有様にて、槍九本受けしといふ。是も和田・玉谷等の咄を記す。

 
 



 寒山寺 禅宗妙信寺派

御法度の切支丹檀家にあるを知るらざる上、是が出を致しやりし事なれば、別して御咎も強く、外寺々と共に他参止めなりしが、御咎中病死せしにぞ、改めの御検使立ち、仍覆仰付けられ、御仕置の日、代人等召出され、存生に候はゞ退院仰付けらるゝ筈の処、死去せし事故、先づ其儘にいたし置候様、別て葬式等相成らず、追て御沙汰有る可しとなり。

右組合の寺々、御叱の上五十日の閉門、閉門は己より遠慮にてしめしともいふ。 久昌寺・瑞光寺・妙中寺・玄徳寺・梅松院、以上寒山寺の組合なり。

其余浄光寺・円照寺・蓮託寺・雲仙寺・一乗院、総て檀家に切支丹ありし寺々、退院仰付れらる。是等の組合の寺々御咎を蒙りし者五十箇寺に余るといふ。寒山寺の始末は久昌寺にて聞けり。

 
 






 伊良子屋植蔵 是は町内表向の名前なり。

此者医者を業として、実名を藤井右門と云。北新地裏町芝居裏より半町西にて、北側路次の内に住み、年六十に及べども、至つて貧窮に暮しぬ。十箇年計り以前京都より引越し来る。水野軍記弟子の由、又浄光寺にてはさのが弟子也といふ。彼所の堅めにて、弟子多く取れば自ら顕れ易き故、唯一人と定めある事といふ。等と共に召捕へられしが、牢死せし故、塩漬となし磔に掛けらる。死人の分は槍にて右左より一本づゝ突通し、跡は突真似せし事なりとぞ。

 
 



 浄光寺 西本願寺派

伊良子屋植蔵頼み寺なり。是も始め召出され、檀家にかゝる御法度邪宗門有を知らざる段不届至極とて、大に御叱りを蒙り、他参止なりしが、落着の日に召出し、「脱衣追放申すべき筈の処、御憐愍を以て退院仰付けられ候間、有り難く心得、早早退去致し候やう」仰付けられ、又御堂留守居も同日に召出され、大に叱を蒙り、後は本山へ御渡なれば、何か寺法通に取計へとの事なる由。

斯くて院主は其日八つ過頃一旦寺へ引取り、七つ過ぎに退院す。親類の事なればと、梶木町 *1 へ引取りぬ。家内は苦しかるまじとて、寺へ残し置きしに、本山より早々尊光寺へ引取申すべしとの事にて、大に狼狽す。先月以来此梵妻吐血の病に臥してあり。 されども詮方なければ、一人の女子と共に寺を退きぬ。元来此女至つて淫婦にて、是迄縁付く事三度目にして、浄光寺先住の妻となる。播州赤穂永願寺の女なり。

是も尊光寺は親類の事なれば、同寺へ来り滞留せし折から、浄光寺と密通し妻となりしといふ。然るに十二三箇年計り以前、後家となりしが、亡夫骨肉の弟と姦淫し、乱行甚しく、後には是が子を妊みぬ。年たけし娘ありて、是へ養子してよき場合なるに、己れ此の如き淫(いたづら)ら者故、此度退院せし者を七八年以前より養子とす。

是は六條にて宏山寺といひて、よまの格式なるが、浄光寺は内陣にて、寺格も檀家も宜しき故、己其寺の住職なるに、外より養子をなして、欲心よりして入婿となりしが、斯かる浅ましき日蔭者となりぬるを、笑はざる者とては無かりし。

伊良子屋事、十箇年計以前京都より下りて、此等の門徒となりしに付ては、京都よりの寺送り、又当所にてのせ話人、出所町送り等之ある筈の事なるに、僅十箇年計り以前の事なるに、何者が出をなし、誰の世話なりし事共、此等にて頓と分らず。何故門徒となりし事更に知る者もなく、帳にも記しなき事、不将の至りと申すべし。こは先年住持死し、後家狂の時節故、何事も訳なく、すべて彼宗徒の風儀として、無上に銭をほしがる事なれば、聊の銀銭を得んとて、かゝる禍を引出せしなるべし。此寺此度切支丹掛りの事なれば、此度の件、多くは此寺にて聞きしを記し置きぬ。

 


管理人註
*1 三一版では、「尊光寺」がはいる。


「文政十二年切支丹始末」 その4その6
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