Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.20

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之一」

◇禁転載◇

文政十二年切支丹始末 その8

 




 円光寺 仏光寺派

さの頼寺也。これも同日退院被仰付けられしに、住持は未だ十二三の子供なる故、母親の計ひにて、「こよひ一夜は留めしとて苦しかるまじ」とて、人の諌をも聴かで留めしが、此事上聞に達し、公儀を恐れざる段重々不埒に付、住持は遠島、寺は欠所となる。

 
 



 きぬ

さのと同じ様の事にして、邪法を以て人の心をとろかし、金銀・衣服其外何に寄らず掠め取り、又金をふやしやらんとて、多くの人を欺きぬる事限りなしといふ。

 
 




 蓮託寺 東本願寺派

住持退院、組合の寺々、迫塞閉門上に同じ。

鳥目二千七百貫文   舛屋安兵衛 天満木幡町洒造屋
同 二千貫文     憲法屋与兵衛
同 二百貫文     天満伊勢町
金七両        堂島下役
右の外金銀銭の吐出し、過料等、少きは銭三貫文、斯様の口数至つて多き由、当日死罪・流罪等も多かりしとて、巻説は大層なる事なりしかども、予が記せるは、すべて其出処を糺し、貢・軍記等の事は奉行所御用人の咄せるを雲溟に聞き、其余は浄光寺にて聞ける事多く、寒山寺の始末は、大和屋林蔵・久昌寺等にて委しく聞きぬ。すべて天満辺の事は、北野明石屋喜兵衛方にて聞き、其余の事も夫々、出処を糺し、疑しき事は之を省きて記す事なく置きぬ。

大融寺の借家に住める按摩あり。近きあたりなれば、さの方へ入込みしが、一度按摩すれば銭百文づつくれ、酒肴を振るまひて大いに飽かしむるにぞ、此者頻りに有難くなりて、奇特をいひ立て、無上に人をすゝめ歩行(ある)きしが、是も金ふやしもらはんとて銭十七貫を預けし故、他参留と成つて居たりしが、御仕置の日召出され、「急度叱り置く」との事なりしとぞ、明石屋利助此者に附添ひ出でしとて、予に語るりぬ。

 
 








加島屋勝助が外方にて聞しとて咄せるには、切支丹露顕せし始めといへるは、彼同類の内 尋ねしかども、其名知れず定めできぬ。八重の内ならんか。 金銀殖しやらんとて、人々、多くたらし込み、始めにも云へる如くの事をなして取込みしが、酒屋と水汲と両人、身分不相応銀に銭かり入れてまで預けしが、口にて殖えしと聞ける計りにて、聊も手には取れる事なく、水汲などは賤しき働人故、借主より頻に催促せらるゝ故、利銀渡しくれぬるやう屡々掛合ひぬれども、種々言抜けて渡さゞるに、酒屋もふと疑念生ぜし故、其銀取戻さんとて、頻に掛合ふやうになりぬるにぞ、

皆打寄つて遣ひ捨てし銀子なれば、手元にとては聊もなければ、断りの手たんに尽き果て、詮方なき所より、出奔して行方しれず影を隠しぬるにぞ、酒屋いよ\/憤りて、「何国に行きて隠れ住むとも、尋ね出さで置くべきや」と、夫より商売をも打捨て、探し廻りしに、播州の所縁に隠れ居る事慥に聞き出しぬ。

直に行んと思しかども、先方に是を隠して渡さゞる時は、如何共為し難しと思ひ、種々心を労せしが、是が近き辺りにて、先年迄与力の若党せし男の、奉公をひき、小家を借りて、僅かなる暮しせるあり。

何か筋合委しかるべければとて、此者へ相談せしに、「夫こそいと心易き事なり。我役人となりて役所(彼所?)へ行き吟味なさば、先方にても隠し難し。斯くして捕へ来るべし」といへるにぞ、

酒屋大いに喜び、共に役人に化けて先方に到り、村役人に掛り、大坂よりの御上意の由云へるにぞ、村役人より厳しく其村を尋ねて、当人を探し出せしにぞ、

御役人に成行きし事なれば、直に縄を懸けて連帰りしか共、素より偽りなれば如何ともし難く、種々嚇しぬれ共、「一銭も無し」といへる。悪者には敵ひ難く、さればとて証文取りし事にあらざれば、公訴する事もなり難く、是非なくも専(ひたす)ら催促に日を送りぬる内、思掛けずも播州にて召捕られし事なれば、彼の明神と唱へぬる狐を其儘彼所に残し置きしに、此狐宿の娘につき、大いにあばれ出し、「我を残して大坂へ行きし事なれば、今は祀り人なし。斯くては我が立所なし」とて荒廻り、又異(こと)人へもつきて、手に余れるにぞ、

所の者申合せ、村役人上坂し、「先達て御召取に相成りし何某と申す者、狐を残し置候に付、其狐荒れ廻り、村方難渋に候間、早々引取候やう仰付られ下さるべし」との願ひなるにぞ、

御番所にては、其頃に斯かる事なしとて、夫より御吟味ありて、上をかたりし始末分明に分りしかば、何れも召捕られぬ。此女よりして何か白状に及び、思懸けなき切支丹の一件露顕せしとなり。捕手になりて下りぬる男は、間なく牢死せしと云ふ。

絹屋七兵衛も、外方にて聞きしとて、此通りを予に語りぬ。

 


「文政十二年切支丹始末」 その7その9
「浮世の有様」大塩の乱関係目次

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ