Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.9.14

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

摂州川辺郡豊島郡能勢郡変事略記 その4






    亀山の学士に、始め小身者の儒学に志厚く執立に相成候、両南孫四郎と申者の妹、摂州拍原村某へ嫁し居候に付、右乱妨の場所故見舞の使差遣候処、返書の写左の通。























仰の如く乱妨大塩平八郎残党の類共と申三人大将にて、能勢郡森上村杵の宮に集候て、夜中鐘をつき、二日の夜同郡稲地村庄屋へ行無心申し、村中人足を出せと申候へば、其村の番人取りに掛り大将の胸ぐらを抓み候へば、大将刀を抜き抜きむねにて打候へば、むねにて切れぬと申候へば、肩先を一刀切り候へば、もーつと突きよれば首切落し候て、人足を引連れ杵の宮へ引取りて、夫より村々へ人足を出せと申し、出さゞればは墨に致すと申候。

片山貞右術門へ飛脚遣し、金子廿貫目と米五十石と無心申候へば、聞入なき時は潰すと申候へば、聞入れ之なく候て、三日の夜諸道具・建具悉く微塵に潰し申候。

夫に近村当村も恐れ、人足を家別に残らず一人づつ出シ申候といへば、又森上村杵の宮へ引取る。

四日朝郷中・村々人足杵の宮へ集り、夫より六の瀬へ行き杉生村の宮へ行き、此処にて同中飯致し、其方村々人足八百人計り出す。〆て千四百人に相成り、夫より清水村へ行き質屋にて休み、左曾利村万しやう寺へ〔にて其夜を明さんとする時、能勢郡の人足四百人計り、其夜抜け帰り申候。

其夜万しやう寺の堂動き、其時大将恐れ刀を抜き空中を切払ひ申候。

 
 







且又四日代官根本善右衛門参られ、又番所の役人四頭参られ仁辺村より押寄せ、根本善右衛門は山田山中峠より押寄せ、其次大星村役所・栗栖村役所、山田村峠押寄せ申候。田尻村役所は明月峠・坂井峠・大坂峠三方へ出張被致候。

五日八つ時に上月村宮寺へ行き籠り候所を上月峠根本善右衛門数人押寄せ、三方より押寄せ、鉄炮を打つ事雨の如く、三人の大将刀を抜き切懸かるを一人は手を討たれ、堂へかけ入切腹致し候。今一人は田のふちにて玉を四つ負ひ死す。一人は農家へ駈入る処を打殺す。大将一人は山田村源六医者忰大助と申して、大坂へ出で剣術指南致候者と申す。今一人は池田あめしんの弟、今一人は出石の浪人とも申し、又は加賀の浪人共申し、又は河合郷右衛門とも申候。是が三人の中の大将と相見へ申候。三人共手きゝにて候。

    右は本のまゝ、火急の時節の返書故、不都合の事共もまゝ相見へ 申候、御推了。

一、右討取の節風聞には、公儀役人衆間者を以て、忍び\/に人足共へ申含め、最初打立候鉄炮は玉なし〔き故、異心無之者は「初発の鉄炮を相図に退散致すべし」と申含め、人足退散見受け、残る者其見当に玉入れ打立候共申す。又は初より玉入打候故、人足の怪我を憐み、頭分の者抜連れて打出候共申候。未だ是非分明には弁じ申さず候。

  亀山より領分境固人数大概

一、物頭二騎、足軽一組廿五人づつ、一組鉄炮、一組は弓鉄一挺づつ挟む。
一、大目附一騎、徒目附二人、代官一人、同心十人、郷手代五人。
一、大筒方一騎、懸り下役十人、医師一人。

  右人足倍〔従卒〆凡百五人斗は西加舎村へ出張。

一、物頭一騎、足軽二十人。但し鉄炮組
一、大目附一騎、徒目附一人、代官一人、同心十人。
右人足従卒〆凡八十人計りは犬飼村へ出張。

 


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