Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.9.25

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

摂州川辺郡豊島郡能勢郡変事略記 その7

 




 
天保八丁酉年二月十九日、大塩平八郎乱妨放火せし時、かゝる事とは思ひよらず、只尋常の火事と心得、山田屋大助天満の方へ火事見舞に到りしに、十丁目筋とやらんにて、思ひがけなく大塩が鉄炮・石火矢・刀槍の鞘をはづし、厳(いかめ)しき様にて出来れるに出会ひしかば、大に膽を潰し、周章狼狽へて走帰りしが、船場にて鴻池・三井等を焼立て火勢大に盛んになり、加島屋作兵衛。加島屋久右衛門等をも石火矢にて焼打に来れる由、






 







専ら取沙汰にて〔衍カ〕して、市中一統騒々しかりしにぞ、大助が有様大いに狼狽へ、「こはいかゞなりぬる事やらん」とて、顔色血色を失ひ、周章て騒ぎぬる有様、彼が平日に武芸を諸人へ教へ、高慢なる様子とは雲泥の違ひなるゆヘ、大いに人目にも立諸人の物笑なりしといふ。

六月の末より何か思ひ立ちぬる事有りぬる由にて、能勢郡の辺にて多の人を語らひて、七月二日に至り大に騒動せし事あり。之を大塩が残党とも強訴一揆の類ともいひて、種々の取沙汰有れ共、未だ其実を知らざりしに

 
 







五日の早朝の事なりしが、斎藤町山田屋大助といへる薬屋へ御吟味の筋ありとて、同心衆出来り、妻・娘・忰并下女両人、外より来りて滞留せる者都合六人、北浜二丁目の会所へ連行かれ、其家に在る処の大小・槍・長刀・弓・鉄炮の類をば、直に御取上となり、其余の家財悉く付立となり、妻と忰とは直に入牢し、娘一人は御憐愍にて、両人の下女と共に宿下げ と成りて、町内へ御預となる。

之にて山田屋大助・今井藤蔵 横堀の書家にして大勢の弟子に書并に算術の教をなす。)研屋何某 御霊筋河原南へ入る処にて、八幡屋といへる雪踏屋の裏に住す。因州の浪人といふ噂なり。 などいへる者、此度能勢騒動の発頭人の由相知れて、諸人驚きし事なりし。研屋は独身なれば、其儘にて家財元町へ御預となる。

御霊筋へ宿替して未だ間もなく、名前は久宝寺町とやらん下地居し町に其儘にて有ぬる故、元町へ引戻しとなりて家財町預となる。之に依つて御霊筋には此掛り合を遁れしといふ。

今井も妻は入牢、娘あれども十歳已下なれば、家財と共に町預けとなる。

 
 









山田屋が娘は十八歳、何か御吟味の筋有りて、十二三日の頃呼出されしが、夫よりして入牢す。此娘に何か御尋あれども、一向に何事をも知らざれは、其由答ヘて、少しも恐れわるびれし事なく、涙一滴も溢す事なく、泰然として覚悟を極めぬる有様、役人は申すに及ばず、何れも感心せしといふ事なり也。

又弟猿之助も姉と共に厳しく拷問せられ、之も同様に落著きて尋常の事なりしか共、親父の斯かる事有りとは少しも思ひよらず、其身に於て何も知らざることを、厳しく責問はるる故、科なき者を無実なる責を蒙れるやうに申ぬるにぞ、此者に町内の者附添ひ能勢郡へ召連れられて、親の死骸及び其余の者迄も見せられしにぞ、之より大に屈伏せしといふ。

母は継母の事故二人の子供悪み、日々叱りて打擲などせられし事は、近隣の者もこれをよく知りて、哀れに思ひぬる程の事なりしに、子は少しも之を恨めることなく、此度猿之助が死体を見届て帰りぬるにぞ、其罪逃れ難きを知り、兄弟口を揃ヘ、「私共事は実子の事に候へば、如何様なる御仕置を蒙りしとて、篤と覚悟いたし候へ共、母が事は私方へ参られ候て、未だ格別の年数にも相成り申さず、何れも同人の存ぜられ候事にては之なく候へば、御憐愍を以て母が一命をば、御助け下されよ」とて、数々願ひしにぞ、

役人中も感心せられしといふ。猿之助は男の事なれは別牢に入れぬれども、母と娘とは同じ牢なり。今井が妻も同様なりしが、此女中にて年嵩なれば、牢の中にて大いに幅を致し、山田屋が妻子をむごきめに逢はせ、「大助めに唆そかされて夫は非命に死し、我等迄かゝる憂目に遇ひぬる事の 腹立や」と怒り罵り、散々に打擲すといふ。

娘牢中にて病臥食を喰ひかぬるにぞ、牢番之を憐み、小豆餅・菓子の類を与へぬれば、今井が妻悉く之を奪取りて喰ひぬる上に、病労れぬる者むごき目に遇はせぬ。

又母親も猿之助も同じく病臥ぬる故、御憐愍にて三人共、七月晦日宿下げになし給はる由、仰渡されしに、娘は二十九日の夜死去せしにぞ、 母親之を歎き前後をも弁へざる程なるに、今井〔妻脱カは心地よしとて、娘が衣服を剥取り、丸裸になして牢外へ投げ出せしといふ。目も当てられぬ事なりしとて、明くる日引取りし上にても、之を言出でて日々大に歎きぬるといふ事なり。

 


「摂州川辺郡豊島郡能勢郡変事略記」 その6/その8
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