Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.10.9

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

摂州川辺郡豊島郡能勢郡変事略記 その11

 








 
山田屋大助が事は前にもいへる如く、不良の人物にて慾心深きのみにして、大塩が乱妨に狼狽へ騒ぎ、平日妻子惑溺し愛著に余念なき事共にて、聊腕立はすれ共、少しも沈勇ありて、命を失ふ事を恐れざる男にはあらず。強訴の事なれは命を失ふ程の事はあるまじく、麾は振れ共程能云逃れて、騒動せる中にて金儲せんと思ひて、例の慾心より起りし物にして、有無の糺もなく、鉄炮にて打殺されんとは思ひも寄らざりし事なるべし。

今井は至つて貧窮人にて、一年半計りも家賃さへ滞れる程の事なれば、余は之にて知るべし。之も算盤の桁外れなるべし。此外仙石の浪人鎌田隼人 大塩の余類河合郷左衞門など、之に組せしなど云へる風説ありしかども、之も不分明の事なりし。又小田屋(山田屋)今井・研屋など四五人計りの人を引連れ、盗賊方与力・同心にやつし、捕物有りて出来りし由にて、川尻村の庄屋に到り、番人を切殺し人数を集めしなど、道行長々しき咄もあれども、今井・研屋は知らざれども、大助は山田村の産にして、其辺にて面を知らざる者はあるまじき事に思はるれば、かゝることのありしといへる事、其道理に当り難く覚束なき事なれは、此始末を記する事なし。何分にもかく鉄炮にて打殺さるゝ事なりと思はゞ、かゝる事をばもくろみぬることはあるまじき様に思はれぬ。

蜂起せし始め勢ひを以て人を服従せん思へるにや、頻に空鉄炮を打立侯ゆゑ、焔消乏しくなりしにぞ、三田の町へ二人連にて之を求めに到りしを召捕へしにぞ、委細に白状す。其由直に大坂へ訴へらる。

又村方よりも追々訴へ出でしかば、御奉行所にては大塩が残党ならんと思はれしといふ事なり。

又鈴木町御代官根本善左衛門へ御支配地より早速訴へ出で、速に御手当下され候やう申せしかば、大いに仰天し、「暫く待つべし」とて此者を留置き、頓と何の御沙汰も之なき故、数々催促すれとも、「暫く控へよ」と計りにて、何の返事もなく、只大にうろたへ廻れる様子なれば、如何ともなし難く、半日余も引付けられぬ。かゝる所の大変なれば、宿元へ心せかれ候へば、私は御暇給るべしと、七つ頃に至りて言捨てにして走帰りしが、夜に入りて斯かる騒動の中へ引取りぬる事故、心ならず思ひしかは、天王寺辺に住居する所の知辺の人を相頼み、之と同伴して帰りしといふ事なりし。

 


「摂州川辺郡豊島郡能勢郡変事略記」 その10/その12
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