摂州川辺郡豊島郡能勢郡変事略記 その12 |
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山 田 屋 大 助 の 素 行 |
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源 六 の 食 欲 |
源六在所へ引取りて後は、大助よりして日々魚肉を贈りしが、暑に至りては味損じ腐れる故、源六方より、「魚肉を贈る事を止めて料物すべし。此方にて勝手に求めん」といへるにぞ、近年金子にて毎間に贈れるやうになる此肴代も、「金子入用なれは当年の分を一所に受取らん」といへるにぞ、其意に任せぬれば又間もなきに、来年の分も受取らんとて之を貪取り、又其上にも何時となく金子入用の由申来りぬるにぞ、大助も困窮し之を断れば、「公儀へ不孝を申立て勘当すべし」などいひぬる故、無理なる積りをなして金子を拵へぬる事故、自ら貧困に及びぬるやうになりしといふ。 | |
源 六 源 二 郎 の 素 行 ○ へ た る ハ 誘 フ コ ト |
又源六が後妻といへるは、至つて不人柄の者にして、只さへ悪しき源六をけしかけて頻に大助を困らしむ。この者が腹に生れし娘に嫁せしめし聟の名を源二郎といふ。此者源六が家の相続人なり。 | |
今 井 佐 藤 の 両 人 能 勢 へ 赴 き し 理 由 |
今井は京都其外近国処々に用事有りて出で行くにぞ、「幸の能き道連なれば、能勢の妙見へ参籠すべし」とて同伴し、佐藤四郎左衛門 研屋也 は、是も故郷鳥取へ用事有りて行きぬる故、道すがら商ひをなしながらに行かんと思ひ立ちぬる故、幸のよき連れなれば之も同伴して、妙見へ参るべしとて、一所に出で行きしといふ事なり。 今井は大助と兄弟分なれども、佐藤は左程深き交りせる者に非ず。 家を出づる迄も何の様子もなき事なりし故、能勢へ到りて後、俄に思付きしものならん。下地より其催し有りぬる程の事ならば、少しにても我が心付かざる事は、有るまじき事なるに、露計りも其気色はあらざりしと、妻が咄なれ共、一大事を思ひ立つ程の者にして、うか\/妻に悟られぬるやうの事も有るまじく、只慾心を起し密に金儲せんと思ひぬる時は、尚一命を失はんとは己が心に存寄らざる事なれば、なにしに之をけどらるゝ事あらんや、覚束なき事なり。 大助が剣術・柔術の師といへるは、前に噂ありし処の能勢の者には非ず。天満曾根崎新地明神より少し南にて、東側に播磨屋忠兵衛と云へる下駄屋有り。此者表名前は右の如くなれども、専らはた (秦カ)四郎兵衛といへる通り名なり。此者与力・同心など随身して、稽古をなす者多しとといふ。大助も此者を師として稽古せしとなり。
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