| 大塩の乱 その2 |
|---|
|
二 月 十 九 日 | 天保八丁酉年二月十九日大坂に於て、東御町奉行跡部山城守組下の与力に大塩平八郎といへる者あり。此者発狂の如き有様にて三四十人計りの党を結び、天満川崎よりして処々を乱妨・狼藉し、放火をなせし事ありしに、直に是を召捕る事能はず、彼をして十分に乱妨をなさしめたる上に、悉く是を取逃し、漸々(やう\/)と名さへ知れざる雑人を纔三人鉄炮にて打取りし迄なりし。 |
大 塩 反 す |
|
大 塩 の 乱 に 付 武 士 の 臆 病 を 嘲 る |
一人の与力少々の党を結びて、乱妨をなせるすらかゝる有様にて、二万軒に近き程家を焼失はせ、死人・怪我人二百七十余人に及び、天下の諸侯をして騒動せしむる事かくの如き大変に至る。若し又一城をも構へし者の叛逆を企てまじき者にも非ず、若や左様の事にてもこれ有に当らば、如何してこれを討取らんと思へるにや、諸司の臆病未練なるは、皆これ天下の御威光に係りぬる程の事にて、少しく心有つては恐入るぺき事に非ずや。 始め大塩が川崎を乱妨せる時、其近辺へは一人も寄付者なく、遥に道を隔てゝ此方にては、天神橋の南手を切落し、跡部城州には城中へ逃隠れ、西御奉行堀伊賀守は御役所の四門を閉し、これに狼狽塾(ママ)して 其節専ら東御奉行所へ逃げ行きて閉籠りしといふことなりしか共、やはり西御奉行に其儘居て門を閉せし事ならん。漸々と天満一円放火にて焼立て、船場上町へ渡り処々方々放火して焼立つる頃に至りて、漸く両御奉行共、出張せらるヽ程の事なりしといふ。浅ましき業といふべし。 西御奉行堀伊賀守には、二月二日矢部駿河守に代りて出来られし事故、日数僅か廿日にも足らずして、此変に及べり。此度の騒動此人の知られし事にてはかなるべし。 | * |
|
大 塩 征 伐 の 手 術 を 論 ず |
若し一人にても少しく武夫の心有りて、兵道の端くれにても弁ふる程の者にてもあらば、大塩が己れが家に放火し、其近隣を火矢にて焼立る頃、僅か二三人にて御神廟の築山に登り、鉄炮にて彼れを擇み打にするに、何の難き事かあらん。彼は素より諸司の人々を侮り、白昼に斯る狼籍に及べる程の事にして、肝心の討手さへえ向はざる程の事なれば、僅か二三人にて出来れる程の勇士あらんとは、夢にも心付かざる事なるべし。又さもなくば往来の人々を引留め、味方すべしとて槍を与へ、車などをも曳かせぬる程の事なれば、之に同意せし様にもてなして、不意に起きて彼れを突殺すとも安かるべし。され共是等は忠義にして、其志鉄石の如き勇士にあらざば能くせざる事なれば、其命を捨てゝ之をなさんと思へる者一人もあらずして、之をなし得る事の能はずと思はゞ、凡そ百計りの人敷にて神速に其場処へ馳向ひ、此方よりも矢石を飛し、鉾矢備にて無二・無三に打入りなば、一挙に彼を討取るべし。 彼は素より死地に有りて少しも要害の備もなく、只鉄炮・石火矢を便りにしてあばれ廻れるのみなれば、之を討取るに何の難き事あらんや。少しも恐るべき敵に非ず。殊に其日は西南の風烈しく吹きて己れが放てる火に身を焦し、姻に噎び巻かれぬる程の事なるべし。味方は素より地の利を得、南には日本無双の堅城を控へ、前には淀川の固め有りて風火又其助をなし、後に少しも心掛りの危みもなくして、一天下は悉く己が味方にて、何の恐れか之あらんや。進みて敵に向へばとて、悉く皆殺さるゝ者にはあらず。死せんと思へば生き、生きんと思へば殺さるゝ事、往古よりしで其例ありぬる事を思ふべし。只彼れを知り己れを知りてよく之を計らば、必勝の顕然たる事は、其戦はざる始に明瞭たる事なり。何をか恐れ何をか危ぶみ思へる事のあらんや。然るに只狼狽へ廻れるのみにして、聊の思慮分別もあらずして、斯かる天下の御恥辱を引出せしものは、何れも只死を恐れ命を惜しみ、恥を知らざるが故なり。浅猿しき業といふべし。 若しまた敵を十分に危ぶみ、人数の程も見積る事もなり難きことゝ思はゞ、西の方四軒町の入口より、人数を鉾火備になして馳向ひ、南は神廟を固めて少しも動く事なく、只其粧をみせて鬨の声を揚げ、西備より一二町も隔てゝ、北の方へ一手の勢を備へて繰り掛りの形をなし、又は一向二裏などの変化の有様をなして、後を取切るやうなる形をなして敵を少しく操(あや)くらば、主将大塩平八郎を打捨てゝ、首縊 *1 の士大将瀬田済之助を始め、一騎当千と頼み切たる庄司・渡辺・近藤の類は、施行貰ひに出来りて首を切らるゝことの恐ろしさに、拠なく附従ひぬる百姓等と共に、その後を取切られざる先にと、北の方へ大崩れになりて逃行くべし。 処々に些かなる兵を伏せ置きなば、一人も漏さず之を生捕となすべし。併し斯く十分に乱妨狼藉をなさしめて之を捨置しは、「其鋭気を避けて其労るゝを討つ」といへる本文によりしものなり抔とて、ヘらず口聞ぬる先生達も有るべけれ共、大塩を始めとして其徒を残らず取逃せし上は、少も其道理にも当り難きことなり。武人此度何れも大狼狽へにうろたヘ、大なる不覚を取りたりし事を恥ぢ思ひ、治に居て乱の忘れ難き事を知り弁へて、武士の武士たる所行に勤め基きて、これ迄の如くなる平日の奢を省き、よく倹約をなして、何れも武器の一つ宛をも持貯ふるやうになりなば、たとへ此後不時の変起る事あり共、浅ましく見苦しく大狼狽へにうろたへて、児女の嘲りを受くる程の事には至るまじき事なり。
| * |
|
大 塩 の 人 相 書 | 諸屋敷へ廻りし大塩が人相書の中に、鍬形付の兜を著し黒の陣羽織、其外は相分らずと有り。落人となりて世間を忍び隠るゝ程の身分にして、左様に異形なる様にて歩き廻れる者あらんや。心得難き人相書といふべし。又「悪党共所持致し候飛道具類、残らず御取上に相成候間、安心致し候様に」との御触有しが、是も大塩が徒これを捨置きて、落失せし跡にて之を拾ひ集めたる物にして、一つとして取上げし物はあらざりしと云ふ事なりし。 |
の 批 評 |