| 大塩の乱 その4 |
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亀 山 の 詐 欺 師 |
丹波なる亀山てふ処に言を工みにし、正しき人の様をなして諸人に媚び諂ひ、己が身を立てんとて密かに姦悪を工みなして、衆人を偽り欺ける侫人(ねぢけびと)ありぬ。此者先つ年より浪花津に出来りて、年久しく旅住居せしにぞ、斯かる正なき曲者なることをば露計りも知り侍らで、聊の故有るを以て彼者と親しく交りしにぞ、信実(まめ)々々しげに我を謀り欺きて、思ひ寄らずも遂には吾家の宝の数を尽さしめ、其上に異人の貯へ持てる宝までも僕(やつがれ)に之を借出させて、其宝をも悉く取収め、言を巧みにして、深くも偽り欺きて持帰りしにぞ、日を経て後に其欺きし事を悟りて、審(つばら)に思ひ当りぬるやうになりしかば、此三とせ余りは頻に胸を痛め、深く心を苦るしめ侍べりしにぞ、僕(やつがれ)に親しき家族はいふに及ばず、常に睦び交はれる他家の人々迄、共々に力を添へて種々(くさぐさ)に手を尽し侍れ共、彼曲者には素より黒き心以て、深く工み構へし事なれば、いか程に之を咎めて迫り込みぬるをも、「蛙の面に水」とやらんにて、露計りも恥らへる色さへなくて、そが上に尚も悪しき心逞くして、言を巧に欺きて逃れなんと謀りぬるにぞ、我も今は堪へ忍び難きの極に迫り至りぬるにぞ、暫しも捨置き難き事なれば、天たもつ八のとし如月十日、まだ夜も明やらぬ頃よりして、宿を立出でて彼地へ到り、其罪を糺し、これ迄我を苦しめぬる報ひをなして、思ひ知らしむべしと、心猛々しく道を歩み行きしが、ふと去ぬる五日暁の頃、朝日山の端を出で候尺計りも立登れる様を夢みし事を思出しかば、
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江 口 の 里 |
江口の里にて、西行法師が、歌詠みかはせし君てふ女の故事を思ひ出せしにぞ、
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長 岡 天 満 宮 |
長岡天満宮の御前を過ぎぬるに、梅の花盛りなるを見て、
いつ来ても あかぬながめや 長岡の 宮居も山も 池も林も
三歳(とせ)余り 義理も情けも かけやりぬ 背に腹ぞ 今は許さじ
又城内に鎮守に稲荷明神を祭りぬるに、雑人の参詣を許されぬる事故、城下はいふに及ばず遠き村々よりも、大勢の者共集ひ来りて、賑やかなる事なりし。予は妻が親里へ落著きしに、此家の主は保津村とて、十余町計り隔りし金比羅へ参詣せしとて、宿にあらざりし故、予は飯抔したヽめて暫し休息ひぬるに、大雨盆を傾けるが如く又篠をつくに似たり。宿の主も途中にて此雨に逢ひぬる故、これに降込められて漸々と日の暮るヽ頃帰り来りしかば、直に之に案内させしめて、他の家族に到り、こヽにして予が遥々と来りぬる事の始め終りを詳らかに語りぬ。 | * |
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亀 山 の 詐 欺 の | かくて明くる十一日の未明よりして、彼の佞(ねぢけ)人はいふに及ばず、彼に連なれる家族を相手として、これまで堪え忍びたる憤怒の勢ひを振ひしかば、彼徒大に戦き慄ひ恐懼(おぢおそ)れぬるやうになりて、彼曲者には忽ち養家を捨てヽ逃失んとせしにぞ、 |
一 族 を こ ら す |
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詐 欺 師 発 狂 す |
かくては家の一大事なりとて、彼れに連らなれる者共、之を尋ね出して連れ帰りしに、忽ち発狂せしかば、何れも之を取押へ置きて、頻に予に歎き詫びぬれ共、年久しく彼曲者になやまされぬる事なれば、かゝればとて今更に之を許すべき事に非ざれば、当人をば捨置き其家に連らなれる者共を捕らへて、厳しく責め悩ましぬ。 され共彼曲者へ上より給ふ処、やう\/僅か十五石に三人扶持なるに、其が中を彼地に於て過半は引当になして金を借り入れ、其引当さへ二重・三重に処々の証文に書入れながら、之を渡さゞる程の事なるに、これが親類てふ者も漸く十五石を高になして、八石・四石位の身代の者共なれば、何れも詮方なく、困じ果てぬる様にて詫び願ぎぬるにぞ、強ひて之を取立んとする時は、彼曲者の為に七軒の親類までをも家を失はしむるに至れる事なれば、余りに便なき業と思ひしにぞ、我が身にかゝりぬる苦しみをも顧みず、僅か四分にして其一つにも足り難けれども、親類の者より僅か計りの銀子を受取りて、其余は今年よりして、年毎に三石の米を受取りぬる事に定めて、当人をはぶき親類共七人の証文を受取ぬ。斯かる事に及べるさへ、彼や此と九日計りの日を費しぬるにぞ、
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