| 大塩の乱 その5 |
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大 坂 火 災 の 有 様 |
急ぎ宿にかへりなんとて、十九日の朝とく亀山を立出でて巳の半頃に至りて、淀の下なる下津てふ処に到り、今井船の二番目を呼止めて、之に飛乗して下りしが、橋本の少し上山崎の辺にて、ふと大坂の方に当りて烟立登れる様の、乗合ふ人々の目に留りぬ。 何れも大坂へかへる者共なれば、我が宿の辺りにやあらんか、又河内路にても有やせん抔、種々に評しつつ下りしに、牧(枚)方にて飯酒など商ふ船出来りしかば之に尋ねしに、大坂の出火なりといへる事確かに分りぬ。され共大坂の内にて何れなりといへる事は、定かならざりしに、鳥飼にて天満東与力町といへる事詳に相分り、堤上の人家何れも火事装束にて駈行きぬ。 斯くてこの処をも過行くに火勢愈々盛んに立登り、凡そ十町計りも焼広がりし有様なるに、頻に鉄炮・石火矢の音耳を貫き、赤川の東辺堤伝ひに大坂の方より、逃来る大勢引きも切らず。老人を背に負ひ幼子を懐に抱き、子供の手を引連らね、婦人両刀を帯し、槍・長刀を一つに引括り蒲団を傾け、婦人荷物を差荷へるなど有て、其人毎に取乱せる有様哀れにて、目も当てられざる事共なるに、又川中には多の船を漕ぎ連ね、種々の雑具を積重ねて、逃来れる様の狼狽へぬる騒々敷事なりし。 次第に大坂へ近付に従ひて、鉄炮・石火矢の音甚しく、川崎より天満一面の火となり、天神橋の北詰も焼け南詰をば切落し、船場上町も一様に燃え上り、烈しき事限りなし。 八軒家も焼抜け 船の著きぬる家もなく、其上鉄炮・石火矢等にて川筋の往来もなり難しとて、桜の宮の上手にて船を止めて、人々を上げしにぞ、予も其処より船上りせしに、桜宮の辺には逃来れる者取分多く、何れも聊の荷物を堤の上に積上て、呆れたる顔して火を眺むる有れば、恍惚(うつとり)として気抜けせし如き有り。泣き叫ぶあれば労れはてゝ打倒れる有り。病める人の哀れげなるなど、何れも目も当て難き有様なり。 かくて其処を過て網島へ入りぬるに、此処は分て町幅も狭き処なる故、諸の道具を持ちて大勢の逃げ来れる事なれば、此処を通抜けぬる事の難き様に思はれしかば、野田橋を越えて片町を西へ走り、京橋を渡りしに、橋の南番場の入口には、与力・同心、槍・棒を持連り其処を固め、両刀を横たへし者をば一人も通す事なく、強て通抜けんとする者をば之を捕へて引戻し、散々に打擲するにぞ、予も危ぶみ思ひつゝも其側を馳せ通りぬ。 此方の入口も同じく始の如く厳重に備へて、侍をば通さゞれども八軒家の方は一面の火にて、一歩も歩み難き有様なれば、混雑に紛れて足早に番場の内へ馳入りしに、番場には逃げ来りし者、一群々々に種々の道具を積重ね、大に混雑する中を鉄炮・切火縄にて槍・長刀の鞘をはづせるを持ちて駈廻れる、如何成事とも分き難く、一時も早く宿へ帰りなんと道を急ぎぬる故、これを問ひ極る迄もなく道をはすかひに走りて、追手筋へ出でて西の方を眺めしに、火は此筋より遥か南へ焼抜けて、人数一面に黒み立ち鉄炮の音頻に聞ゆるに、そこの処を通抜けぬる事は難き様に思はれしかば、番場南へ本町筋へ出で、混雑の中を押分鉄炮・鎗にて馳廻れる中を通抜け、本町橋を渡りはすかひに馳帰りしに、淡路町の辺にて頻に鉄炮の音響き渡り、逃げ来れる大勢の有様面色土の如く慄ひ戦ぎ、足の踏む処さへ定かならざるにぞ、 己れは瓦町を西へ御霊筋を北へ京町橋を渡りて、横堀を北へ走て漸々と宿へ帰りつきしに、加島屋久右衛門・加島屋作兵衛など石火矢にて焼討に来れりとて、宿の辺りは何れも諸の道具を取乱し、婦人・小児の類ひ悉く遠き処へ逃去りて、家々に主又は下男など面色土の如くに変じ、慄ひ\/も拠なく止まりて有ぬる様子なり。 〔頭書〕町人の大家等は予ねて給金を遣し、斯の節には早速に駆著けぬる者共、其家の分限の応じ二十人も三十人もあり。此者共夫々の主家へ走著しか共、何れも火矢・鉄炮の音に驚き火の勢ひに恐れ、己れ\/が家を思ひ、皆ぬけ\/に帰り去り、大家と雖も平日内にて召仕へる者の外には、一人も人なし。まして中以下の左様の手当もなき家には、外よりして見舞にも手伝にも来れる者なくて、大に困りぬる事なりしといへり。 | * |
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大 塩 平 八 郎 |
予が家も忰一人にて、外より出来れる者両人有るのみにて、諸道具を引散し妻は大切なる品を持ち、下女に包みを背負はせて南堀江なる知辺の方へ立退しとて宿にあらず。 「如何なる事にて斯くは騒々敷事なるや」と、これを問ひ極むるに、東組の与力大塩平八郎諸人困窮を憐み、己が家の什物を悉く売払ひ、金一朱宛一万人に施行し、町家にても鴻池・三井・米屋等の大家へも、「施行して貧人を恵みくれよ」と頼みぬれ共、何れもこれを諾はず。 | * |
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大 塩 騒 動 |
御奉行にも「闕所銀仰山に積みある事なれば、之を以て貧窮の良民を救ふやうになし給へ」とて、屡々申立てぬれ共、其事御取上なくて御咎を蒙りしといふ。 之に依つて平八郎御奉行を恨み憤り、与力・同心其外浪人の類纔に党を結び、施行の金貰はんとて出来りし百姓共を引留置きて、今朝五つ半頃己が家に火を放ちて、夫より組屋敷を焼払ひ、十丁目筋へ馳出て火矢にて焼立て、十丁目を南へ天神橋を渡んとするを見て、橋の南を切落せしかば、此処を越ゆる事能はず、 |
の 原 因 |
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鴻 池 其 他 富 豪 の 家 に 放 火 す |
西へ下り難波橋を押渡り、一番に鴻池・天王寺屋・平野屋、高麗橋筋にて三井其外を焼立、平野町より淡路町を焼きぬ。此処にて其党三人計打殺されしといふ。 予は宿に帰ると直に忰に命じ、下女を差添へて妻を迎に遣し、青野光明寺の松原より小松四五本持帰りしを庭前に植ゑて後、飯十分にしたゝめて近辺心易き者共訪ひしに、何れも大騒動をなし狼狽へ廻れる様なれば、之を制し、 「一人の大塩一端の憤に堪へず僅かなる党を結び、二三百の百性原を引連れしとて、是等は烏合の者共なれば何程の事かあらんや。見よ\/程なく人数乱れて散々に成行きて、再び之を集むる事は成難く、騒動も是迄にて済行くべし。彼素より一夫にして一城を保てる者にも非ざれば、落集れる巣穴もなかるべし。殊に附従へる百性は施行貰はんとて出来り、殺伐せられん事を恐れ、拠なく附従へる者共なるべし。さすれば一陣破れて残党全き事は得べからす。必しも驚く事なかれ」 と、人々を制し置きて宿に引取り、「何も騒ぐ事なく何かの取片付せよ」と、申置きて、炬燵にうたゝ寝せしが、其儘にして翌日朝まで熟睡す。 「朝飯をたべ給へ」とて頻に呼起すにぞ、之に目をさまして起上り食をしたゝめ、一面に取散らせし道具をば片付け、昨日下女が南堀江に預け置きし包を、早朝に僕に命して主に遣はせしに、下女が背負ひ行きし包を屈竟なる僕が持兼て、道にてあまたゝび休らひて、漸々と持帰りしもをかし。 外へ持出せし物とては加茂越後が跡付二つ持退き呉れぬると、忰が計ひにて、加島屋十郎兵衛へ具足櫃三荷と挟箱一荷を預けぬる計りなりしかば、内の片付は手疾しかく埒明きぬ。 され共火は益々熾んにして、少しも収まる事なく、次第に東南の方へ焼広がり、只今加島屋を焼打に来りし、どこそこを打砕き焼打つ抔とて東西に逃迷ひ、うろたゆる人々の有様、哀れなる中にもをかしき事なりし。 予が家に出入する輩は、予が諸道具を取片付けて平気にてあるを、余り大膽なる致し方なりとて、数々狼狽へながらに諌ぬるも殊勝の事といふべし。 | * |
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婦 女 今 宮 大 和 等 |
廿日の二更過に至り、漸々と火は鎮りしか共、世間の騒々しさは同じ事にて、大坂市中一様に震動し、婦人・足弱・老人の向は近きは今宮・天王寺、遠きは堺・平野・河内・大和の辺にて所縁(ゆかり)有る方へ立退しといふ。 御当代に至りて、斯かる騒動ありし事は未曾有の事なりしかば、矢石に驚き火に焼立てられで、狼狽へ廻りしも理りと云ふべし。
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へ 避 難 す |