| 大塩の乱 その6 |
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諸 方 よ り 加 勢 来 る |
斯かる仰山なる騒動に及びしかば、諸国への聞えは尚大層の事にて、先づ一番に尼ケ崎より一番手引続きて二番手馳来り、引続きて岸和田・郡山より馳来り、何れも番場に陣取して御城の固をなす。 又町奉行より姫路・明石・薩摩・筑前・出雲等へ加勢を頼まれ、何れも御籾蔵の固をなす。其外小屋敷の向も夫相応の用意をなす。 長州へも御頼有しかども蔵屋敷の事故、左様の用意なしとて之を断りしといふ。 追々に姫路・明石・龍野等より人数馳登り、亀山よりも使番・目附役等馳来り、御加勢の人数差向可申哉否哉を御城代に伺はる。 〔頭書〕高槻侯には在城の事故六百人の人数を従へ、何れも甲冑を帯し、焔消十三荷・玉二十五荷、其他何かの手当をなし三島郷迄出張有しか共、こなたより御城代御断にて引かせしといふ。 |
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大 坂 城 代 以 下 諸 役 人 名 |
御城代、土井大炊頭。 西大御番、北條遠江守。 東同、菅沼織部正。 玉造口御定番、遠藤但馬守。 京橋口同、米倉丹後守。*1 山里御加番、土井能登守。 中小屋同、井伊右京亮。 青屋口同、米津伊勢守。 雁木坂同、小笠原信濃守。 御目附、中川半右衞門。 同、大塚太郎右衛門。 東町御奉行、跡部山城守 二千五百石、西同、堀伊賀守。 御船奉行、本多大膳。 御破損、森佐十郎・鈴木栄助・榊原太郎衛門。 御弓奉行、上田五兵衛・鈴木次右衛門。 御鉄炮奉行、石渡彦太夫・御手洗伊右衡門。 御具足奉行、上田五兵衛・祖父江孫助。 御金奉行、幸田金一郎・石渡彦太夫。 御蔵奉行、島田三郎右衛門・比留間兵三郎。 御代官、根本善右衛門・谷町一丁目 池田岩之丞。 堺御奉行、曲淵甲斐守。 | * |
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町 奉 行 諸 方 に |
斯て町奉行より追々蔵屋敷へも御頼にて、土州・伊予松山大州・肥前并に蓮池・安芸・小倉等よりも固めに到る。 備前へも御頼なりしに、病気なりとて断りしといふ。実は留守居始め、一人も甲冑を持てる者なく大に狼狽へ廻り、雲州抔へ数具足にても苦るしからず、一領にても貸し給へとて、内々頼み来りしか共、雲州にもなくて之を断りぬるにぞ、詮方なくして暴に病気なりとて断しといふ。 大家の蔵屋敷殊に平世武張りし様に聞きたるに以の外の事なり。大なる不覚といふべし。 |
加 勢 依 頼 す |
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高 松 屋 敷 防 備 |
又高松屋敷には何時焼討に逢はん事も謀り難しとて、船の用意をなし門々を閉ぢて、大狼狽に狼狽へ、すはと云はゞ婦人・子供を兵庫の方へ落しやらんと、其用意をなし、若し奉行所より此方へも御頼みあらんも計り難ければ、其用意もせではなり難しとて、狼狽へながらに其手当をなすに、屋敷中にて鉄炮を持つ術さへも知らぬ者計りにて、やう\/蔵奉行平尾嘉右衛門といへる者、鉄炮少々打ちし事ありしとて、俄に此者に稽古をなし、頻にから鉄炮を放せしといふ、可笑き事なり。 〔頭書〕此騒動の中にて諸屋敷より具足屋へ馳付け、古具足に至る迄争ひ買ふ有様見苦しく浅間敷き事なりしとぞ。 |
の 模 様 |
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長 州 倉 番 の 狼 狽 |
又長州には前にいへる如く断りなりしか共、此上にも強て御頼あらば否む事もなり難からんと、其積りをなして騷ぎ廻りしにぞ、取逆せて頭痛し耳の遠くなりし者、心中、悸動して戦慄する者など有りと云ふ。 別して大塩が此度の工みは、丁人の豪家・蔵屋敷等を重に目ざしぬる由、専らの風聞なりしにぞ、何れも大狼狽へなる中にも、分けて諸屋敷の有様至つて見苦しかりしと云ふ。 |
せ る 有 様 |
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城 代 以 下 の 防 備 |
斯様の騒動なりしかば、逃行く人々にあへかれされて、堺辺にても家毎に諸道具を取片付け逃支度せしとなり。 斯かる騒動なれば、御城内にて御城代始め御定番・大御番・御加番・百騎衆に至る迄、夫々に持口々々を固め、追手先にも夫々に陣備へある。 先づ一番に御城の人数の備。 其外には尼ケ崎・岸和田・郡山等の人数なりといふ。 又其混雑する中にて、難波御蔵より兵糧米を馬にて御城へ運びぬる事、引きも切らず。 | * |
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和 泉 屋 吉 左 衛 門 鉛 献 上 |
其中にて長堀の和泉屋吉左衛門へ仰付けられ、鉛八千斤納めしといふ。
鉛上納の事は和泉屋の出入播磨屋庄兵衛といへる者の咄なり。始めあわたゞしく鉛三千斤いひ来り、又二千斤又三千とて、都合八千斤なりといふ。然るに人足不足なれば、人を貸しくれよと申さるヽ故、拠なく人夫の内両人を残し置きしに、此者共に印の半被を着せ鉄炮を渡しぬるにぞ、「私共は鉄炮打候すべをも知らず、斯様なる役は勤め難し。御免しあるべし」とて、種々に之を断れ共更に許さず、無理無体に鉄炮を持たせ、此者共を先に押立つるにぞ、「然らば何卒跡になして連れ給へ」とて、種々に願ひ詫びぬれ共、之を許さずして先へ立たしめ、士は其跡に付いて馳廻るにぞ、恐しく堪へ難きにぞ、昼前に至り大に空腹になりしかば、「暫し帰し給はれ、仕度して参るべし」と断りぬれ共、之を許さず。一人に饅頭を十宛与へて、七つ過ぎ迄先に立て馳出行き漸々と暮前に到りて許し帰されて、始めて人心地なりしといふ。かヽる恐ろしき事に逢ひしはこれ迄に覚えざる事にて、此後とても生涯にも有るまじき事なりとて、身震して語りしといふもをかし。只御城よりといふ事にて、何れといえる事は聞かざりしが、定めてこれは御鉄炮奉行なりしものならんか。
〔頭書〕堺筋唐物町北へ入る高見喜兵衛方へも、其方所持の焔硝悉く御城へ持運べとて、あはたヾ敷く使来り、残らず納めしといふ。
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