Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.9.2

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その8

 







姫路より馳せ登りし人数四百人計り、龍野より出来りしも四百人計りにて、三月の始めまでも滞留せしといふ。

高槻よりも人数馳著け、二番手も途中迄馳出で来りしか共、同家は家老始め家中の者大勢大塩が弟子となり、平八郎常に彼地へは入込み居りし事なれば、彼家中には大塩の同類これあらんも計り難しとて之を危ぶみ、御城代より之を断られしと、世間にて専ら風説なりしかども、諸侯の臣下たるもの主人を捨てゝ、与力如きの悪事に与みし、大禁を犯せる者あらんや。

高槻は亀山・膳所・淀・郡山と共に京都の火消加役の事なれば、定てかゝる騒動なれば本城を守りて、京・摂の間を固めしものならんと思はる。

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郡山には闇峠其外処々の道々をかため、岸和田は和泉路を固め、堺御奉行には二百余人の人数にて大和橋へ出張し、紀州には往来はふ云に及ばず、処々の間道・山中に至るまで厳重に固めをなし、大坂よりの一左右次第にて加勢を出すべしと、専ら其手当あり。

尼崎には巽・横渡等に数挺の石火矢を伏せ、大勢にて処々の道筋を固め、京都町奉行には山崎迄出張し、亀山には東・西・南の要路を固め、京都よりの指図次第にて、人数を何時にても出すべしと其用意ある。

淀・伏見等にも夫々の手配りあり。

京都にては所司代を始め何れ禁廷を守護し、粟田口其外出口々々に人数を出し、夜は仰山に篝を焚き、寺々等門を閉じ、市中にては今にも敵の攻来れる様に心得て狼狽へ騒ぎ、諸道具を取片付けし者も多かりしといふ。其余近国の騒動是にて思ひやるべし。

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大塩事件勃発当時の「諸国要塞ノ警備」状況


「大塩の乱」 その7その9
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