Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.7訂正
2000.9.22

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その10

 






斯て大塩平八瀬田が告にて手段大に相違すといへとも、予ねて期したる事なれば、其夜家内の婦女を刺殺し、徒党せし者竝に前以て施行貰はんとて、出来りし百姓・町人の類を引留め置きし者共と共に、此中に実に与せんとて、始より従ひし者も少しはあるべけれ共、多くは施行貰はんとて出来り、無理に引留められしにて、之を否めば忽ち切殺さるゝ事故、拠なく従ひし者多くありと云へる噂なりし。 十九日朝五つ過ぎ頃、己が家に火をかけ近辺の屋敷へ向けて頻に鉄炮・石火矢を打掛け、家毎に三五人づつ走入りて、戸・障子・襖等を積重ね、之に火を付て焼立つる。

一両日前より、十九日には鉄炮の稽古をなすと近辺に沙汰せしとも、又廿日の積りなりしが手違いにて事急に起りしとも風説紛紛たりし。

 
 






此の如く乱妨に及び、両奉行の討手を待ぬるやうすなれ共、武士たる者は奉行を始めとして、一人も此辺に寄付く者なく、東照宮の御神体さへ堂島浜方八方の仲衆共に命じこれを取退かしめ、漸と奉行には途中に待受けこれを守護し奉り、生玉の北向八幡へ移し奉りしといふ。

〔頭書〕川口御番の北手にて船二艘に石火矢二挺づつ仕掛けてありしといふ。大塩が手筈行届かずして、之を打つ事能はざりし事、市中一統大慶の事なり。若し此処にても之を打出すやうなる事になりせば大なる騒動ならんに、幸といふべし。

 





 







    一人の大塩采配を振りて白昼の狼藉をなし、其党僅か二三十人に過ぐる事なく、余は施行の金貰はんとて出で来り、拠なくて附従へる者共なり。

    東奉行の組下の与力斯かる狼藉をなす事なれば、東御奉行直に馳付け、召捕に何の仔細かあらんや。

    殊に其辺の地理東南共に大河に迫り、殊に東は堤にて南に天下無双の名城有り、西は市中続なれど西風烈しく吹ぬれば、己が付けたる火の為に焼立てられ、火炎に噎び苦しめる程の事なり。

    北一方野に近しと雖も、行先長柄の大河に迫りぬれば、川には船にて其備へをなし、南西より攻立なば速に召取られぬべし。

    されども彼れ六具にて身を固め、矢石を飛ばしぬる事故に生捕り難く思はゞ、此方も其用意して向へる事なれば、少しも恐るゝ事なかるべし。

    彼徒の重立ち候者一両人を打殺さば、其余は北の固めなき処より走り逃んとすべし。長柄辺に伏勢を置きて之を捕ふる事何の難き事あらんや。袋に入りし鼠を捕ふるに等しき事なるべし。

    一人の平八僅か四五十人の党を率ゐし事なれば、たとへ鬼神の勢ひ有りて、西の方へ切つて出づる共、我に数万の天兵有り、彼に於て更に逃れぬる道なく、吾に於て更に恐るゝの理なし。先んじて之を制する事能はずとも、橋の向へ越えて背水の固め固めをなさば、橋のこなたへ渡りぬる事あるべからず。

    いかに臆して狼狽へぬればとて、川崎の騒を見て天神橋の南を切落し、凶徒をして思ふ儘に狼藉なさしめしは、武道に疎き柔弱なる振舞といふべし。

 


「大塩の乱」 その9 /その11
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