Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.8訂正
2000.10.13

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「浮世の有様 巻六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その17

 



使




大塩が騒動せし前日の事とやらん、平八郎より飛脚を仕立、彼が落し文に記しぬる様なる事を書記し、京都御所司代松平伊豆守殿へ遣はせしといふ。飛脚の者は斯かる事なりとは夢にも知らずして之を持行き、直に召捕られ入牢せしが、程なく胴丸駕籠にて江戸へ送るられしといふ。*1

〔頭書〕京都・江戸飛脚和泉屋何某とやらんに託し、六日切にて江戸なる薩摩・加賀・尾張御屋敷へ大塩より書状遣し、其中へ落文封込ありしといふ。

和泉屋十九日の大塩が騒動に驚き、斯様の事とは知らずして、大塩の書状六日切に江戸へ差出せし由を御城代へ訴へ出しより、早く追駈て其状取戻すべしと命ぜられし故に、三日切にて追掛けしか共間に合ひ難く、夫々の屋敷へ届けたる跡なりしといへり。

 






 





彦根浪人京都笹屋町大宮西へ入る処にて、何屋とか 右浪人の親類なりとぞいへる 者の方に、かゝり居しが、此者大塩が一味にして、何つにても大坂に火事有と聞かば、速に走下るべしと約し置ぬるにぞ、火事の噂を聞と其儘に走出しが、最早間に合ざりしかば、早々途中より引返せしか共、其事顯れて直に召捕れしが、三日めに牢を出し、其町へ御預と成、公儀より番人つくといふ。こは此者をゆるめ置なば、悪徒共の便り来れる事もあらんとての事なりといふ。  




 





大塩が騒動後は京都の固め至つて厳重なりといふ。

膳所は侯在国にて、殊に三月・八月番の火消なり。常に修学院の上に出張を構へ、すはといはゞ馳出んと其用意厳重なりしに、二條御城近辺に聊の出火有りけるにぞ、直に合図の早鐘を撞きしかば、侯も大勢を引連れ大津迄馳出されしか共、素より聊の火なれば直に鎮りて、何の仔細もなかりしかば、大津より直に引返されしといふ。

 
 





二月廿三四日の頃とやらんに、阿州徳島の、社人吉田に官職を受けに上京して有りしが、此日官職受けに行くとて、宿屋にて若党・沓持外に下人一人都合四人連にて宿を出でしが、途中なる八百屋にて何か買物をなし、一寸座敷を貸しくれよとて此家にて烏帽子・狩衣をつけて、御所の御築地へ入りしに、大塩が騒動に付、所司代より厳重に固め居る事なれ共、殿上人ならんと之を咎むる者もなかりしにぞ、此者藁草履をはき公家門に到り、沓をはきかゆる事もなくしで、其儘にてのか\/這入りぬる故、之を咎め直に召捕られしといふ。

大坂大変にて大いに騒動する折柄なれば、禁庭にても大塩が廻し者にやあらんなど取沙汰して、六門を閉ぢて大騒ぎにて、直に入牢し、宿屋八百屋は申すに及ばず、雇はれし者共迄何れも町預となりしといふ。此者更に怪しき者には非ず、吉田へ官職受けに来りしに相違あらされば、狂人に陥りしといふ。

〔頭書〕此者社人にてはなし。阿波の家士にて松坂孫四郎といへる者なるが、高慢気違にて、自ら松田若狭守と改名して、かヽる所作をなせし事なりといへり。委しく阿波の屋敷にて此事を聞けり。狂人とはいひながらも、かヽる法外の事をなしたる事故、侯にも大いに心配せられしといふ。大塩が騒動と混雑してかヽる事など有りし事、をかしき事といふべし。

 
 


三月半過ぎの事なりしが、兵庫辺の在に一人の坊主来り、或る百姓の大家に行きて、「大塩摩耶山に籠れり。金子入用なれば出すべし」とて、金百両騙り取る、早々に此趣地頭へ訴へ出で直に召捕らる。

大坂与力内山藤三郎彼地に到り、大勢の百姓を召集め、山内は申すに及ばず寺々を探しぬれ共、跡形もなかりしかば其坊主を引立て帰りしといふ。

 
 







二月十九日大塩焼打、家の人を追払ひ火矢を打込候故、皆々大に恐れ其身其儘にて何れも逃出し候事故、何の家も大方は人なし。

かヽる事なりしかば、大塩が党ならざる盗賊共大に時を得て、心易き人の荷物をば退け遣す様をなして、表向にて奪ひ去る。偶々是を見咎めぬる程なる事有と雖も、かヽるけはしき折柄なれば、銘々に打捨て置きて逃去りしにぞ、誰有つて之を咎むる迚もなければ、奪ひ次第取次第なりしといふ。

大塩党始終人を払ひ置きて鉄炮・火矢を打立候得共、外にそれて鉄炮に当り、薄手・重手負ひし者有り。中には即死せし者、群衆に踏殺され又は狼狽へて井戸の中へ陥りなどして死せし者も少々は有りといふ。此の如きの騒動なりしかども、白昼の事故怪我人は思ふ程にはなかりしといふ。

 




 






大塩へ立入候書林、施行の世話を頼まれ書物売捌き致し候迚御不審掛り、何れも町預けとなる。又其本を書林よりして買取候者も同様に町預けなり、其余大塩へ立入る者は申すに及ばす、少々にても縁(ちなみ)ある者といへば悉く召捕れしといふ事なり。彼が乱妨に与せざる者迄、斯様に召捕らるゝ事ゆゑ、其掛り仰山の事なりし事なりといふ。

〔頭書〕書物買取し書林は河内屋吉兵衛・同喜兵衛・同十治郎・同茂兵衛 *2 といへる者共四軒にて之を悉く素人に売付けて其由大塩へ申せしかば、其価を以て直に施行致しくるヽやうにといへる事なるにぞ、未だ節季に到らざれば代銀を先方よりして受取らざる事なれども、確に之を売付け置きし事なれば、四十貫目の銀子を右四人より取替へて、金一朱宛の施行をなして其世話わをなせしに、かの騒動に及びしかば、本屋はいふに及ばず、之を求めし者迄も召出されて、何れも町預けとなりしとなり。

 


管理人註
*1 「建議書」に関わる風聞か。
*2 施行札に書かれているのは、河内屋喜兵衛・新次郎・記一兵衛・茂兵衛の4名。


大塩事件勃発当時の諸国警備の状況


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