Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.10訂正
2000.11.2

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その21

 






御城内にても百騎衆何れも具足櫃には、衣類・手廻の道具など計りにて、具足持し人は一向にこれなき事故、何れも大狼狽にて騒々しく見苦しき事なりしといふ。浅ましき事といふいべし。東西にて二百騎の中にて、具足を持し者漸く二人ならではなく、火事羽織の用意さへ有る人稀にして、何れも暴に病気引を騒動を見かけせしといふ。定めて臆病にて引きしも、其内には多く有りし事なるべし。

与力町にても何れも臆病未練にして、大塩を取放せし事をばいはで、世間にて児女輩のいへる如く、彼は先年切支丹の仕置せし時、其書物を熟覧せし事なれば、其邪法を以て身を隠せしものならんなど噂すといふ、可笑事なり。

 




 







鴻池屋善右衛門が一統は、大塩が一番に焼立てし船場にての手始めにして、本家の蔵は三ケ所迄焼失す。乱妨分けて甚しくありしといふ。善右衛門は行衛しれず、妻は蔵に逃込みて、石火矢にて打殺されしなど其節専ら風聞せしが、左様にてはなかりしに、其後に至り米買占せし故、闕所となれる由など風説し、又淀屋橋へは鴻池を打潰すといへる張紙せしといふ。其外いかなる事にや、鴻池の世評散々の事なりし。  



 















大塩平八郎、鴻池・三井其外其辺を焼立て加島屋を焼き、両御堂を焼き、近江屋久右衛門・辰己屋久右衛門・飾屋六兵衛等を焼打つといへる風説喧かりしかば、其目指せるといへる家々の近辺は、別けて大に狼狽へ騒ぎて、其後に至りぬれどて〔も脱カ暫くはうろうろとして、人々渡世の業を打捨て有りしにぞ、只さへ暮しかぬる程の者共なるに、何もせでありし事なれば、其日の糧に尽ぬるやうになりぬるにぞ、辰巳屋久右衛門が借家に住める者共一統に申合せ、久右衛門方へ合力を頼みしかば、銘々へ鳥目弐〆文づつ遣せしといふ。

此辺至つて貧窮人の多き所なる故、町内一統申合せ、「銘々共が此度かゝる騒動によりて狼狽へ廻り、手仕事もえせで多くの日を暮せしことは、畢竟辰己屋といへる者有りて、この家を焼打に来るといへるが故なり。我等が難渋に及べることは、全く久右衛門故の事なり。然るに其借家計りに合力して、此方共を捨置きては相済み難し。何れも一統に行きて其合力を受べし」と言合せて、大勢久右衛門方へ押掛けぬ。

然るに又難波なる同人が頼み寺の近辺に住める処の体、坊主共男女の別なく大勢連立ちて合力を頼来り、其辺大に群をなす事なれば、騒動に及ばん事を恐れて、四ケ所の番人共を招き寄せ、門口を守りて人を制せしむれ共、更に手に合はずしていかんともなし難く、久右衛門方にても其求めに応ずれば又外よりも追々に出来り、其際限も有るまじく、これを強ひて断りなばいかなる大変に及ばんも計り難しとて、大に困り入りて途方にくれぬる事なりといふ。

 


「大塩の乱」 その20/その22
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