大塩の乱 その22 |
---|
町 人 共 よ り 東 町 奉 行 留 任 の 歎 願 書 |
一同難有安堵仕候。其上類焼・極難渋之者共多人数へ御憐愍之御救小家被為成下、扶食等被為下置候御儀、重々御仁恵之程難有、乍恐御礼奉申上候。猶乍恐此上永御在勤被為成下、奉蒙御仁恵度、市中一同奉願上候。此段乍憚各様より宜敷御願上被成下度奉願上候。以上
酉三月 本町筋より北久宝寺町筋迄 右者此間差上候頼書写に御座候。早々御順達留より御戻可被下候。以上 酉三月十七日 北久太郎丁一丁目印 右廻状四筋合十九町順達。
紙屋清七 外廿人
右之通被仰渡、一同奉畏候。仍如件。 天保八酉年三月十七日 廿一町年寄連印
酉三月十七日 南本町一丁目迄年
| |
跡 部 山 城 守 の 手 落 の 批 評 |
夫れ町奉行・郡奉行・代官の類、各々夫々の村市を守り、よく農商を撫育し、事有る時に当りては之を速に取鎮めて安穩ならしむる事は、素より夫々の職分にして、更に珍らしき事には非ず。され共其人賢明にして、諸人感服する程なる格別に異なれる善政もあらば、さもあるべき事なれ共、城州の如きは事を未萌に察する事能ずと雖其事顕れて後速に之を取押ふる事あらば、此の如きの大変に至りて、諸人の難渋には至らざることなるに、前にもいへる如く、斯かる大変に及びぬる事は、前以てより其事著じるく、已に乱妨をなすに至つても、臆病未練にして之を制する事能はず、之に依りて悪徒乱妨を放にするに至りて、諸人の大難儀とはなりぬ。せめて天満計りにてなりとも之を防ぎ止めなば、船場辺の者共は御蔭によりて、有難しといへる事もあるべけれども、左様なる事にはあらず、已に此願人の内にて紙屋清七は、漸々蔵を残せしといへる計りの事にして、其余は丸焼なり。 南本町難渡橋筋西へ入り和泉屋善兵衛といへる者、居宅迄は焼来らざりしか共、掛屋敷を焼き、又家質に取置きし家を九ケ所まで焼かれて大に難渋するに至る。此度の乱妨によりて焼けざる処にして、斯様に難渋せる者其数限なしと云ふ。之みな城州の手後れの然らしむる処なり。 幸にして此難を逃れし者は有難しと思ふべけれ共、此禍を蒙りて、其手後にてかく成行きし事を能く知れる者にして、いかんぞ有難しと感服し、思へる事のあらんや。三郷といへば南組・北組・天満組の三郷なり。 其中にても天満組は、大抵七八分は焼立てられて、多くは著の身著の儘にて丸焼となれる者有り。死人・怪我人凡貮百七十余人有りしといへる中にも、天満組に至つて多かりし事なれば、かゝる輩何故にか難有しとは思ふべきや。悪徒速に捕へられ、此辺無難にて有りぬる事ならばさも思うべし。何にもせよ心得難き願書なれば、是れは定て自己手ぬかりにて、斯く大変を引出したる罪を軽めんと思へる処より、総年寄抔へ内分にて之を含ませ、かゝる願書を町人共より出せる様に、何となく謡はせし者ならんと思はる。何にもせよ怪しき願書といふべし。 *1 〔頭書〕予が推量に違はず、総年寄より内意有りしといふい。南革屋町長浜屋五郎兵衛といへる者、かゝるばか\/しき事を総年寄より沙汰せられて、困りたてぬる由、津山の屋敷にて語りしといふ。 | |
御 払 米 を 御 救 米 |
天満堀川天神小橋西詰南側なる酒屋にて、御救米五合百八文といふことを、大文字に書記し、門口に張付有りて貧人共この米を買ひに到れり。斯様に張紙をして米商ふ処、端々に四五ケ処も有りといふ。此節の米直段、宜しき米にて、一升二百五十四文、悪しき米にて二百二十八文位なり。さすれば高き米に比すれば、五合に付十九文安く、下直なる米に比すれば、僅か六文安し。 此の如くに価を出して買求る事なれば、御払米と書記さば左も有るべき事なれ共、御救米といへる張札にて其価を取られぬる事は、其理に当り難きやうに思はれぬ。三月晦日天神小橋の辺を通りしに、たれぞ之を噂せし者のありしにや、御払米五合に付き百八文と書記せし札に張替へてありぬ。さもあるべきことなり。 |
と 張 札 す |
類 焼 人 へ 施 行 |
三月十一日類焼人ヘ、鳥目一貫文包み、御救を将碁(将棊)島に於て下し置か
る。此鳥目は元来大家町人より、類焼困窮人へ救の為に公儀へ差出せし
処の鳥目なり。 此度焼失の竈数一万八千二百四十七軒なり。 此内にて千三百六軒は明家なり。又極窮にて御救小家に入りし者三千二百人、之を凡千軒と積る時は、一万八千二百四十七軒の内にて二千三百六軒を減じ、一万五千九百四十六軒となる。此内にて焼けても痛みにならざる者有り、又痛めても苦にならざる者有り、又難儀なれ共、能き親類の助にて持ち堪ゆるあり、又他人に金借りて、可なりに仮家にても建て、渡世出来ぬる者有り、又親類もなく他人も金を貸す者なく、さればとて御救小家へもえ入らずして難渋なる者有り。 | |
施 行 金 分 配 |
よく\/是等を取調べて、渡し方の割り様も之有るべき事なるに、予が心易くせる処の或る大家も 鴻池三郎兵衛なり。 一貫文下されしか共、此人は之を辞して受けざりしが、鴻池の一統は何れもこれを受けしといふ。鴻池さへ此の如くなれば、其余類焼せし大家へも同様に下されし事なるべし。之を下さるゝも道に当り難く、之を受くるも理に背きぬる事といふべし。よく\/取調べぬる上にて斯様なる者を省き、極く難渋人のみを選出して、せめて鳥目五七貫程づつも下し置かれなば、夫にては差当り雨露飢渇を凌げるやうに、一時の助けにもなるべき事ならんに、いかなる思召しにや、不審の事なり。
|
の 不 当 |