Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.10訂正
2000.11.17

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その28

 







町奉行には御城代の不法を憤れる中にも、城州にはわが組下の与力、かゝる悪事を仕出し、大に恥辱を蒙りし事なれば、いかにもして我が手に召捕らんと深く心を苦しめぬるに、御城代の不法にして、終に西奉行の手に屍を取込まれし事なれば、本意なき事に思ひ、別けて恨み憤ると雖、主将たる御城代の計ひなれば理屈もいひ難く、胸を撫でて堪へらるゝといふ。此の如く其支配なる町奉行へも其沙汰なく、大人気なくも自己の手柄になさんと思へる程の小人なれば、御城内にてはこれをおくびにも出さゞれば、大御番始め御定番・御加番に至るまで、何れもこれを知れる者なく、跡にて其事を聞きて、何れも御城代の不法を憤らる。  




 

















其中にても別て玉造御定番遠藤但馬守には、之を怒り憤り、「御城代の大任を蒙れる身に有りながら、下を引立てんとは思はずして、却て其支配地に家来を遣して其功を奪はんとす、言語に断ぜし振舞といふべし。若し自身の手先にて斯様の事を聞出さば、市中は素より町奉行の支配なれば、彼に命じて召捕らすべき事なり。

然るに其事もなく、御城内にても誰にてもこの噂をもせず、いかに御城代なればとて我儘の仕方なり。両町奉行にも定めて口惜しき事に思ふべし。

然し不法ながらも大塩父子を生捕になさば、まだしもの事なるに、前日より終夜取囲夜明て後、彼者自殺をなし、火の手上りても大勢の中より一人も踏込みし者なし。若し内山が走付くる事なくば、両人の死骸は悉く灰と成つて何とも分り難く、いつ迄も之を尋探す事ならんに、同人が走付けて手ばしかく屍ながらも引出せし故、両人共夫々に相分りて、何れも安堵するに至るは全く内山が功にして、之にて町奉行も少しく腹を癒せし事ならん。

已に先月十九日騒動の節には、又しても相談々々とて幾度となく我を呼 立て、大狼狽にうろたへ廻り、其節の悪徒大方捕はれとなりて、今は大塩父子と外に両三人残りぬる計なるを、密に己れが手にて之を捕ヘ、手柄顔せんとわれらに迄深く隠しぬる心根の浅ましさよ。

先月騒動の節町奉行より、わが組下の与力・同心を借しくるヽ様にと、御城代へ願ひ出せし故、之を貸し与へし時、我が用人与力・同心を召連れて加勢に出づる届に至りし時、与力共に向ひ、「其方共走向ひ如何して防がんと思ふや、其心得方を聞かん」と言われしにぞ、

与力共の答に、「かゝる事にて走向ひ候へば、防ぐ丈は之を防ぎ、叶はずと見ば討死せんと思ひ候。素より一人も生きて帰らんと思ひ候はず」と答へしかば、「其方共は討死せんと覚悟せし事なれば、死を厭ふ事なく共、跡に残りし妻子をばいがゞするや」と尋らるゝにぞ、「こは存寄らざる御尋ねに預り申候。私共は必死と相定め候上は、少しも妻子の頓著なし。死せる跡にていかゞなれる事にや、其事は存不申、併し御支配の御座候事故、其思召も定て之ある事ならん。斯様の事隙取ては、悪徒放に乱妨すべし。御免を蒙り一時も早く罷越し申し度し」といひぬれ共、「先づ暫く待て、何れも其心得ならば甲冑にて赴や」と尋らる。

何れも口を添へ、「是より引取甲冑著んとせば、愈々手後れになるべし。必死と訳定せし上は、甲冑して死ぬるも此儘にて死ぬるも同様の事にて、死するに二つなし。早く御暇給はれ」といゝ立てぬ。

頓とはてしもなき事故に遠藤の用人より、「何分にも彼等が申通り 早く御暇給はるべし」と、之を切あげ漸く立出でしといふ。

かゝる事にて、総て何事も手後れに相成しといふ。此時土井侯の尋ねられし事、余り訳なき尋ねなれば、こは定めて彼れらが心を引きみん為に、わざとに斯様なるばからしき事を、云はれし事ならんと思ひしに、此度の大塩を召捕らんとせられしにて、其腸を見ぬきし」とて、但馬守の申されしとて、其家中渋谷広蔵といへるもの其事を咄しぬ。

 


「大塩の乱」 その27/その29
「浮世の有様」大塩の乱関係目次

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ