Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.10訂正
2000.11.18

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その29

 







遠藤より内山彦三郎 *1 を召され、「此度御城代の仕方、町奉行にも定て快からず思はるゝ事ならん。然し其方が働き故、悪徒自害せしとは言ひながら、其屍を早く取出し、大塩親子の者なる事慥に相分り、町奉行の手に入りし事故、少しは快よく思はるゝ事ならん。若其方も之を知らずして走付くる事なくば、前日より取巻きながら、明る朝家に火をかけ自害しても、尚踏込んでこれを捕らんとする者一人もなき程の事なれば、両人の屍は悉く灰となりて、何者共分り難き事なるに、屍の夫々に分りぬるは全く其方が働故なり。此趣此方より委細に言上に及ぶべし。先づこれは当座の褒美なり」とて、刀一腰与へられしといふ。

〔頭書〕 此度の騒動に付、遠藤より坂本源之助へ抜付の刀一腰に銀七枚、外に与力六人へ白鞘刀一腰・銀五枚づつ、其外時服に金三百疋二人、上下一人、余は金三両・二両・一両・三百疋・二百疋・百疋等なり。此入用凡千両計りの事なりといへり。

  *2

 
 








此度の騒動につき、遠藤の評判世間にても至つて宣しく、已に十九日乱妨の節、御城代には大狼狽へにて、殿主台より石火矢を打たんと幾度も騒き廻られしに、但馬守これを止め、「追々防の者を遣して、其御手当もある事なれは、程なくこれを防止むべし。之より石火矢を打出さば大勢の人を損じ、愈々騒動に及ぶべし。先々見合せ給へ」とて之を止めて終に打たせざりしといふ。

若し遠藤異見なく城よりも火矢を打出さば、大勢の人を損ずる上、諸人大に狼狽へ騒ぎ、以の外なる大変に及ぶべき事なりしに、こは全く遠藤の異見にて、諸人其難に逢はざりしにて称すべぎ事なり。

遠藤の組下大井伝次兵衛といへる与力の伜庄三郎 *3 といへる者、大塩へ一味せしにぞ、親伝次兵衛其外親類の者を呼出し、「其方伜庄三郎事は大塩平八郎へ一味の由、彼は定めて先達て勘当せしならん。左有るべし」と申さるゝにぞ、何れも大に感服し、「いかにも勘当仕りし由」を申上ぬるにぞ、「然らば親伝兵衛其余親類共も申合せ、庄三郎を尋出し首討つて参るべし」と申付けられしといふ。之も其親に難のかゝらざる様にと仁慈の計ひといふべし。其外玉造の与力・同心加勢を申付られし時の言渡されし事など、大に行届きぬる事なりとぞ。

 
 








茨田軍次御城代の手にて召捕られしかば、之を吟味あり。「何事も有体に白状すべし」とありしかば、

「畏まり奉る。かく囚れと相成りし上は、偽り申すべき事に非ず。委細明白に申上ぐべし。

私事は元来大塩と至つて懇意に仕候故、私を見込みしとて此度の儀に一味仕り候。其節に如何様なる事有これある共、決して他言致すまじき由、神明に誓ひ候て血判仕候へば、如何様に御尋ある共、決して申上候儀にては更に御座なく候。

有体と申すは此通にて、外に聊か申上ぐべき事迚(とて)は少しも無之候間、左様御承知下さるべく侯。一味せし訳は入魂故の事にて、申さじと誓ひし事はいか様に御吟味これ有り候とも、申すべき事に候はず。是が誠の有体と申す者に御座候。

此外には何も申上ぐる事なし。

此度の趣意強ひて聞度く思召候はゞ、大塩平八郎を御召捕にて、同人より御聞あるべし。私とても之に組し候程の事なればよく存候へ共、言はずと誓ひし事なれば決して申上げず」とて、自若として平気なる故、詮方なくて其儘にて入牢せしといふ。

こは御加番小笠原信濃守家来より、或人に咄せしといふ。

 


管理人註
*1 内山彦次郎。

*2三一版には、以下のものがある。

*3 大井正一郎。


坂本鉉之助「咬菜秘記」その51


「大塩の乱」 その28/その30
「浮世の有様」大塩の乱関係目次

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ