Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.10訂正
2000.11.12

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その27

 







斯くて大勢の人数、新靱油掛町美吉屋を目指して、廿六日の未の下刻に何れも走付しが、町奉行の手先与力・同心などとは違ひぬる上に、是等が如く四ケ所の非人并猿・犬などを遣ふ事なく、何れも勝手しらざる夷中侍なれば、此所に五人あそこに七人と各々手分をなして、三丁も五丁も間隔たりし処の出口々々は云ふに及ばず、町家の軒下又は家の内迄も入りぬるが、各々鉄刀・木太刀・棒抔を持ちながら、何れも斯様なる捕物に馴れざる者共なれば、何とやらん騒々しく間抜けぬるに、跡よりも追々馳せ来れる侍共も同様成有様にて、きよろ\/しながらに、「油掛町はどの辺なるや。美吉屋五郎兵衛が家は何れなるや」など、そこら辺にて聞廻れる様、いかにしても怪しき様子なれば、其辺の家々はいふに及ばず往来せる人迄も、亦何事の出来ぬる事やらんと大いに恐怖せしといふ。

此の如くに遠方より、美吉屋が家の四方迄も多勢にて取巻きながら、只一人も其家に踏込んで、これを捕へんとする者なくて、其日をも暮し、終夜此の如くにして其夜をも空しく明しぬ。

明る朝に至りぬれ共、猶踏込んでこれを捕んとする者一人もなかりしといふ。然るに今朝七つ過る頃、垣外の一人其辺を通りかゝりて此様子を見受けしが、「斯程仰山なる捕物あるに、我等を始め中間の者共へも御沙汰なきは如何なる事にや」と、いぶかしく思へるにぞ、其処へ到り之を能く見るに、与力・同心の類は一人もあらざるゆへ、愈々怪しき事に思ひしにぞ、之を尋ねぬるに、「美吉屋五郎兵衛方へ大塩平八郎忍び居る由、御城代の上聞に達し、召捕に向ひし」と答へしといふ。 此垣外多く人に之を尋ねぬれ共、町奉行へ沙汰もなくして之を召捕へて、手柄面せんと思ひぬる事故、只召捕物有りと計りいひて、あらはに云へる者なかりしにぞ、あちらこちらにて多くの人に尋ぬる中に、中間か小者と見へて此事を口走りしものありしとなり。

 *1

此垣外このことを聞くと其儘一散に天満へ馳付け、内山彦三郎 *2 方へ到り、「しか\゛/の事也、之を御存なるや」といへるにぞ、之を聞きて大に驚き、其儘直に西奉行所へ馳付けて、御奉行の目通に出でて其事を申すに、御奉行にも之を知らずして大に仰天せられ、「町中の事なるに、何故御城代より此方共へ一応の御沙汰もなくして、かゝる事には及びぬる事やらん。甚だ以て不審なり。定めて東奉行も同様の事なるべし。早く此趣を知らすべし」と申さるゝにぞ、

内山がいふ、「最早暫しの猶予もなり難し、かく申す内にも、若しや大塩親子の者にて御城代の手にて召捕らるゝ様に相成りては、御支配地といゝ御役前の御首尾にも係れる程の御事なり。宿元より直に彼所へ走付けんと思ひしが、一応御届申さずしては相済み難くと存候故、一寸参上仕候なり。東御奉行へ御相談の上にて、其御差図を受んとせば事延引に及び、後悔するに至るべし。私へは直に御暇給はるべし」と言捨にして走出し、油掛町へ到りしに、四ケが噂の如く大勢にて美吉屋が宅を取囲みぬるにぞ、

「いかなる事にてかくは固め給ふにや」と頭立ちし人へ尋ねしに、「大塩が此家へ忍び居る由、御城代の御聞に達し、召捕に向ひし」といへるにぞ、「左様にて候哉、我は西奉行組下の与力内山彦三郎といへる者なり、御免蒙るべし」といふ儘に、其中を走通り会所へ到り直に五郎兵衛を呼出し之を吟味せしに、五郎兵衛も今は逃れ難くと覚悟を定め、有体に大塩を囲まひし事をいひ、かゝる大罪人を知りつゝも隠し置ぬる事なれば、始めより我が一命をば投出してせし事なれば如何様なる厳科にも処せらるべし」と、少もわるびれたる気色なかりしといふ。

爰に於て直に五郎兵衛繩をかけさせて、内山は鉄炮。切火縄にて五郎兵衛が家に駈込み、大塩が隠れ忍べる座敷の庭に到り、大塩平八郎親子の者此処へ忍び隠るゝ由上聞に達し、内山彦三郎が召補に向ひたり。此処へ切て出で存分に働くや。但し此方より踏込みて召捕るべきや、「もはや逃れぬ処なれば覚悟すべし」と声かけしかば、内よりも之に答へしといふ。己等如きの手にかゝれる平八郎に非ずといふ。其外何とやらんいひぬるとも、かゝる騒々敷中ゆゑ委しくは相分らず。

かくて彦三郎は手の者共に命じ、家の四方より打砕かんとせし処に、内にて鉄炮を放しぬる音二つ迄響き渡りしかば、〔頭書〕此鉄炮の音といへるは投炮碌を火鉢へ投込みし音なりといへり。此時の有様内山彦三郎が勢ひを大層に評判せしが、美吉屋隣の路次向ひの者戸口を締めて格子より覗き居しに、内山大音にて下知し、大塩がこもりし座敷の四方より掛矢にて内砕かせしに、何れも恐る恐る一つ打つては路次口へ二十人計りの人夫我一にと逃来り、又こわ\゛/行きて一つ宛掛矢にて打つては又逃来る。此の如くなる事度々の事なりしが、其度毎に人夫と共に内山も同じく逃出せしといふ。炮碌を大塩が火鉢にくべて其はぜし音に驚き、路次口へ逃げ退きし儘にて、火の屋根に焼けぬる迄もえ進まざりしといふ。 何れも之に驚き、しばし猶予せし処に、暴卒に内より火をかけし事なるが、其火忽ちに燃上りて家根に焼抜けしにぞ、この火にて家の焼抜けしは五つ過の事なりし。火事なりとて処々に半鐘を打立てるにぞ、火消役の者共追々に馳付け ぬ。

中にも近辺の事なれば、総年寄川崎治左衛門の火消一番に馳付しかば、之に命じて其座敷の四方より打砕かしむるに、

 
 








兼てかゝる為に用意して、普請せし事と見えて、三重の締まりにて壁は松の三寸板にて、双方より土にて厚く塗り堅めし事なれば、容易には毀ち難かりしを、漸々と打破りしに、内は一面の火にして中々寄付き難きにぞ、頻に水を掛けて、格之助が自害して焼け爛れし屍を引出す。此時少々は息ありしが間もなくおち入りしといふ。〔頭書〕格之助は大に狼狽へて逃出さんとせし故に、平八郎抜打に其肩先より八寸計切込みし故、其場にて倒れしを会所へ戸板に載せ連行しに、火にて所々焦れながらも未だ息少々通ひしが、間もなくおちいりしといへり。  
 








早く平八が屍をも引出すべしとて、頻りに下知をなしぬれ共、黒烟甚しくして何の分ちも見へ難かりしに、漸々と一本の足に探り当りしかば、著物の裾と共に之を引出さんとせしに、裾は火に焦れたる故途中より引ちぎり、足はつるけて皮悉くむけて引張りし手に引付きぬ。

されども之を引出す事能はず、其上火気盛んにして寄り付き難ければ、頻に水を打掛けて其屍を引出さんとするに、外よりして打砕きし事なれば、双方より壁倒れて屍の上に重りてありしにぞ、之を取払ひしに蒲団著ながら、寝処の中にて切腹して有りしに、壁其上に倒れかゝりし事なれば、之にて火を防ぎ、上に著し蒲団処々焼きし迄にて、下に敷きたるは少しも焼けざる程の事なり。

され共髪は申すに及ばず面体も焼けぬれ共、平八郎なる事は明かに相分りしかば、両人の屍を駕籠に打込み、一たん信濃町の会所へ持込みて後、高原へ五郎兵衛と共に連行きしといふ。

御城代より召捕に向ひし大勢の人数は、前日よりして其辺を固めて夜通しをなし、夜明て後火の手上りても、一人も踏込みて之を召捕らんとする者もなく、内山が踏込むを見ながら、尚一人も入込事能はず、 自害せし屍とは言ひながら、彦三郎が手に取られて何れもおめ\/と引取りしは、至つて見苦しき事なりといふ。

 


管理人註
*1 三一書房版では、ここに、次の文がある。

*2 西町奉行所与力・内山彦次郎。


「浮世の有様 巻之六 大塩の乱」 その23


「大塩の乱」 その26/その28
「浮世の有様」大塩の乱関係目次

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ