Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.3.11

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「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 長浜屋八之助が見聞の記 その3









一、右奸賊の者の内重立ち候張本人御召捕に相成り、不申残党・余類の面々は追々御召捕に相成候。瀬田済之助河内恩地と申す所にて縊死と云ふ。庄司儀左衛門は此頃紀州にて被生捕、当所へ御引立日々巌敷拷問に相懸り居候由、色々浮説申触し候。瀬田藤四郎済之助の妻子召遣し、下女三人共に和州にて被召捕候由、但二月廿八日の事に候由、南都同心松田七九郎召捕候由承り申候。

 








一、大塩平八郎当時行衛不知候故、或は渡海いたし候と云ひ、又は甲山に楯籠と云ひ、或は切腹いたし候共云ひ、或は吉利支丹の邪法を学び、妖法を遣ひ候て形を隠し居候共云ひ、浮説区々に候。

右此度の乱妨いたし候趣意相分不申候へば、世人かく落首致しけり。

    我為か人の為かは知らねども切支丹やら何したんやら

一、右乱妨大変後も東御奉行昼夜甲冑を脱がず、厳敷御要害之あり候。

 





一、御上使松平主計頭殿三月十六日当地御著。平野町総会所に御逗留。同十六日御帰府、但し右は今般の一件に付、御上使御出坂と云ひ、又御定番御引渡の御役共云ひけり。









一、相撲取綾川豊吉といふ者、兼て大塩氏と心安く出入致候故、右発起騒動の節、直様駈付候処、「味方に附けよ」と申し、無據承知致し、折を見合逃出し候処、一旦参り合候事故、御番所へ召され御吟味有之候由承り申候。其外右等の事共数多有之候。








「浮世の有様 長浜屋八之助が見聞の記」その2/その4
「浮世の有様」大塩の乱関係目次2

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